「裁判員裁判なんか、やめてしまえ!」と元服役囚 懲戒逃げの研究
10年前、裁判員裁判のモデルケースとなった岩手県盛岡地裁の刑事事件の被疑者国選裁判事件、裁判員裁判が始まって初めての判決を受けた元被告人が服役を終えて出所してきました。未決拘留期間を含めると約10年間を務めて、昨年社会に復帰してきました。
先日、元被告人を連れて日弁連を訪問しました。
彼が日弁連に言いたかったことは、国選弁護人にもAクラスBクラス、ピンからキリまであり、自分の場合はレベルの低いのに当たってしまった。日弁連として刑事裁判の弁護人は一定の能力にすべきである、私の弁護人のように、裁判で最重要な点を述べることを忘れ、また声も小さく隣にいても何を言ってるか分からない、刑事弁護が向いてないのではと疑った。裁判員裁判をこの先続けるならば刑事弁護を取り扱う弁護士に対し、講習を行うなどして弁護のレベルアップをしなければ、納得がいかずに服役しなければならない者もまた出てくるのではないか等々
彼は刑務所から大学の法学部教授に手紙を出して返事をもらっていました。
彼は自分の裁判の弁護人の弁護方法について(詳細は後日)質問をしました。
法学部の教授からは「あなたは、ハズレを引いてしまいましたね!」という返事をいただいたそうです。
この国選弁護人は「私はハズレ弁護士ではない。私は被告人のために十分に刑事弁護人として精一杯尽くした」と堂々と仰るのであれば、裁判終わってすぐ岩手県から長崎県に登録換えすることもないであろう。
懲戒逃げの研究
これは第二東京弁護士会の綱紀委員長、櫻井光正弁護士のツイートです。
綱紀委員長が「糞みたいな懲戒」と品の無いことを仰るな~と思いますが、ここで櫻井光正綱紀委員長が述べたかったことは、弁護士に懲戒の申立てがあれば結果がでるまでは、他会への登録換えができないということです。
弁護士が事件を起こして懲戒請求が出る前に他の会に行って逃げられるか
過去にはこういう例があります。
① 岩手県弁護士会のベテラン弁護士が盗撮事件を起こし即、仙台へ登録換
え、しかし仙台弁護士会で業務停止6月の懲戒処分、現在も仙台で活躍中
② 第一東京弁護士会のP法律事務所の弁護士が児童買春をし逮捕、即、静岡
県弁護士会へ登録換え 静岡県弁護士会で業務停止3月 その後自ら登録抹消
③ 山口県弁護士会の弁護士が東名高速で車の中に包丁があり、銃刀法不法所
持で逮捕との報道、 弁護士は直ぐに弁護士会を自ら退会した。半年後、大
阪弁護士会に新規登録、 登録番号も新しくなった。(現在これはできな
い)生まれ変わって活躍中
④ 横浜(現神奈川)の弁護士が電車で痴漢、業務停止1月、弁護士は勤務し
ていた法律事務所を辞め、独立開業、養子になり苗字を変えた。しかし登録
番号は変わらず。生まれ変わって活躍中
新聞報道された事件などは、どこに逃げても無理です。しかし、逃げおおせ
た弁護士の場合は日弁連の「自由と正義」に掲載されません。
弁護士と弁護士会が組めば懲戒逃げは可能です。
岩手のケースを順にたどってみましょう。
① 平成13年10月 東北で強盗致傷事件発生
② 平成15年3月17日 K弁護士 岩手県弁護士会に登録 56期
③ 平成17年11月14日 国選弁護人のK弁護士と接見 (計3回)
④ 平成18年6月 裁判員裁判のモデルケース裁判開始
⑤ 平成18年6月6日 裁判員裁判 (弁護人大失態)
⑥ 平成18年6月20日 第1審 懲役11年判決言渡
⑦ 平成19年 その後、上告、一審判決と同じ懲役11年
⑧ 平成20年3月17日 国選弁護人 岩手県弁護士会から長崎弁護士会へ登録換え
(登録換えについて)平成20年3月17日の登録換え(日弁連)となっていますが、登録換え申請が完了した日ということです、日弁連は毎月1日と15日、官報と自由と正義に掲載します。(平成20年3月15日は土曜日なので17日の登録換え公表日となりました)
登録換えにはかなりの時間がかかります。次の弁護士会への登録、弁護士の保証人が必要な会もあります。事務所の場所、等すべてそろって申請しなければなりません。岩手県弁護士から長崎県弁護士会への登録変更はおそらく、平成19年の末ごろから用意をしていたのではないでしょうか、つまり失態を取り返そうとした上告審でも量刑は変わらなかったことも影響しているのではと思います。
この元被告人は国選弁護人もハズレで裁判制度の変更1発目という不運が重なったのかもしれません。
岩手県弁護士会が総力をあげた裁判員裁判のモデルケースは、大報道陣の見守るなか大失態と判断され、岩手では有望格だった弁護士は失意のうちに長崎に行くことになったのです。
元被告人、国選弁護人に対し懲戒請求を決意
元被告人は懲戒請求を申し立てることを決意しましたが、岩手県にはいないということがわかりました。どこへ行った?かわかりません。刑務所にパソコンはありませんし、「自由と正義」もありません。探しようもありませんでした。
最後に彼は日弁連会長(当時宮崎誠弁護士(大阪))に手紙を出しました。「東京都千代田区 日弁連会長様」で郵便は届きました。元会長は裁判員裁判についても丁寧な回答をし、その中でK弁護士が長崎に登録換えしたことを伝えました、
ようやく長崎県弁護士会に懲戒請求ができました。
次回 おかしな懲戒審議、懲戒逃げに加担!どうぞ出ていってと長崎県弁護士会