この事件の簡単な時系列
① 大阪府南部に居住する、父、母、女児(当時小1)三人暮らし、父親が母親の仕事で留守の間に女児を連れて京都に向かう
② 未成年者略取事件として地元警察に告訴(受理)のち不起訴
③ 京都市に居ることが判明 父親の愛人とその連れ子との共同生活
④ 調停等始まる。子の引渡し等
⑤ 連れ去った理由に母親が精神的な病気であり子の監護ができない旨医者の陳述書提出
⑥ 公立病院の医師は父親の友人で小児科の医師が精神科の判断をして陳述書を書いたと損害賠償請求提起
⑦ 母親は子の通う小学校を調べ、校長らの承諾を得て学校行事に参加
⑧ 子の引渡し強制執行 父親は拒否
⑨ 令和3年3月 各方面の協力で連れ戻し成功、大阪の新居に引っ越し
⑩ 父親が母親らを未成年者略取で刑事告訴(受理)のち不起訴
⑪ 愛人は連れ戻された女児は私になついていた、私が育てるはずだったと母親らを相手に損害賠償請求提訴
母親と祖母は反訴 連れ去られた2年あまり子の養育、教育などできなかった。(連れ去り敗訴、連れ戻し勝訴)
⑫ 母親の自宅に探偵事務所所員らしきものが来るようになり女児は不登校になる
⑬ 子を連れ戻された父親が面会交流調停を提出(京都の自宅は借家で明け渡したがその住所を申立て人住所とした)
⑭ 離婚裁判 愛人さんが父親と結婚したい旨陳述、父親は離婚しないと主張
⑮ 離婚となる。
⑯ 最後が面会交流高裁審判 2024年2月8日
令和5年(ラ) 第10××号 子の監護に関する処分 (面会交流) 審判に対する抗告事件
(原審・大阪家庭裁判所〇支部令和4年 (家) 4××号) 決 定
抗告人 住所 父親 〇〇
抗告人兼相手方 (原審申立人) 母親
未成年者 子女 成年月日 ✕✕
主 文
1 原審判を次のとおり変更する。
2 原審相手方は、 原審申立人に対し、 令和9年4月1日から同年5月末日までの間に、 未成年者の中学卒業後の進路等の未成年者の近況について、書面で報告しなければならない。
3 原審申立人と原審相手方は、 令和9年10月1日以降、 未成年者の面会交流について再協議する。
手続費用は、 原審及び当審を通じて、各自の負担とする。
理 由
第1 抗告の趣旨及び理由
1 原審申立人
別紙抗告状、 即時抗告理由書、 申立ての趣旨変更申立書、主張書面(2) ない(5)(各写し)のとおり
原審相手方
別紙即時抗告申立書、 主張書面(1) ないし(4) (各写し) のとおり
第2 当裁判所の判断
1 認定事実
次のとおり補正するほかは、 原審判の理由の第2の1 (原審判2頁2行目から8頁2行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原審判2頁3行目の「及び当裁判所に顕著な事実」を削る。
(2)同2頁 6行目の「申立人 (の次に 「父・」 を、 同行目の「相手方(の次に「母・」 をそれぞれ加える。
(3)同2頁 12行目の「画家として、 の次に 「双方とも」を加える。
(4) 同2頁21行目の「別居した」 の次に「(以下「平成30年の別居」という。)」を、 22行目末尾の次に 「原審相手方は、 警察に捜索願を提出し、警察から、 未成年者が原審申立人と共に京都にいるとだけ知らされたが、具体的な未成年者の居場所は知らされず、 その後、 原審相手方は、同年12月に 原審申立人から、未成年者が京都市内に居住しているとだけ告げられた。 を、 23行目の「未成年者は、」の次に「しばらくは2人で生活していたが、 遅くとも令和2年3月頃から、」 を、 26行目の 「連れて帰り」の次に「(以下「本件連れ帰り」 といい、 その後の原審申立人と未成年者との別居を「令和3年の別居」という。)」をそれぞれ加える
(5)同3頁 3行目の「求める審判 ( 5行目の「保全処分」 12行目の「抗告したが ( 21行目の「申立て ( 26行目から4頁1行目にかけての「申し立てたが(」の次に、 それぞれ 「同裁判所」 を加える。
(6)同3頁 15行目冒頭から19行目末尾までを次のとおり改める。
「 別件監護者指定審判及び別件保全審判の家庭裁判所調査官調査において、 原審相手方は、 平成30年10月23日の交流場面観察の際に、平成30年の別居後初めて未成年者と対面し、 未成年者は、 原審相手方と楽しげに交流していた。
なお、同年11月2日、 原審相手方は、 大阪家庭裁判所岸〇〇支部に、原審申立人に対して、 未成年者との面会交流調停事件を申し立てた(同裁判所平成30年 (家イ) 第675号。以下「別件面会交流事件」という。
同事件は、令和3年1月15日に申立てが取り下げられた。
イ 原審相手方は、 平成31年2月20日、 平成30年の別居後初めて未成年者との面会交流を行った。 その直後である同年3月1日、 原審相手方が大阪家庭裁判所〇〇支部に、 別件保全審判を債務名義として申し立てた未成年者の引渡しの強制執行が実施されたが、未成年者が執行官に対し、 原審相手方への引渡しを拒絶したため、執行は不能となった。
その際、 原審申立人は、未成年者に対し、行かなくてもよいなどと述べた。
その後、 原審相手方と未成年者との面会交流は、令和元年7月3日までの間に9回行われた。 しかし、 後記載のとおり、 同月11日、 原審相手方が別件監護者指定審判を債務名義として申し立てた子の引渡しの強制執行も不能となった。 その際、 執行官が、 強制執行は未成年者を驚かせてしまうとして、 その次に予定されていた同月13日の面会交流の際に受渡し場所を当事者で話し合うよう提案し、 原審申立人及び原審相手方はこれを承諾した。 しかし、 同月13日の面会交流は、 原審申立人が、未成年者が原審相手方に連れて行かれるのを怖がっているとの理由で拒否したために実施されず、 その後、 後記オの人身保護請求事件にお いて、 未成年者の被拘束者国選代理人 (以下「国選代理人」という。) により令和元年10月27日に原審相手方との面会交流観察調査がされるまで、 原審相手方は未成年者と面会交流をすることができなかった。
(7)同4頁 11行目冒頭から16行目末尾までを次のとおり改める。
「オ 原審相手方は、令和元年9月10日、京都地方裁判所に、 原審申立人に対して、未成年者についての人身保護請求事件 (同裁判所令和元年(人) 第〇号) (以下「別件人身保護事件」という。)を提起した。 上記イのとおり、 同事件の係属中の同年10月27日、 原審相手方は、 国選代理人の事務所で、調査のために未成年者と面会し、 令和2年2月28日、原審相手方宅で未成年者と面会した
一方、上記 (2) エのとおり、 遅くとも令和2年3月頃から、 原審申立人と未成年者は、 愛人女及びその息子と同居して生活するようになった。
同月10日、別件人身保護事件の準備調査期日において、同月18日に未成年者の通う学童保育施設において未成年者を原審相手方に引き渡すとの和解が成立したが、 同日、未成年者の引渡しがされず、 未成年者は、その後は小学校及び学童保育に通わなかった。
その後、原審相手方は、 未成年者が再度通うようになった学童保育施設に会いに行き、 未成年者にはこのことを原審申立人には内密にするよう口止めをした。
同年4月3日 未成年者は心的外傷後ストレス症候群 (軽度) との医師の診断を受け、 その後は不登校及び引きこもりの状態となった。
同年6月1日、京都地方裁判所は、別件人身保護事件において、拘束者である原審申立人に対し、被拘束者である未成年者を釈放し、請求者である原審相手方に引き渡す旨の判決を言い渡した。 その後、 同判決は確定したが、 未成年者の引渡しはされなかった。た
(8)同4頁 17行目冒頭から18行目末尾までを次のとおり改める。「カ 未成年者は、 令和2年前半からは徐々に小学校に登校できるようになり、同年6月からは毎日登校できるようになっていたところ、同年10月20日頃から、 原審相手方が数回にわたり予告なしに小学校を訪れ、その後、未成年者は、 再び精神的に不安定になって、 不登校となり、同年12月5日、 特異的 (個別的) 恐怖症との医師の診断を受けた (その後、登校できるようになったのは令和4年4月であった。)。
別件面会交流事件において、 令和2年11月4日、 試行的面会交流の実施について家庭裁判所調査官による調査が命じられたが、 原審申立人から裁判所に対し、 上記のような未成年者の不安定な状況が伝えられたことから、 同年12月21日に上記命令は取り消され、 同日、調査内容を子の心情調査とする調査が命じられた。
令和3年1月7日付け家庭裁判所調査官(以下「調査官」という。) 報告書において、 調査官は、 未成年者が長年にわたり原審申立人と原審相手方の紛争に巻き込まれ、 原審相手方の小学校来訪によりそうした紛争の渦中にいることを否応なしに思い出すこととなって不安定になることが考えられるとして、 原審申立人に対し、 未成年者の原審相手方に対するイメージが良いものとなるように努め、 原審相手方について評価的な発言をしないようにすることなどを求めた。
原審相手方は、 同年1月15日、別件面会交流事件を取り下げた。
原審相手方は、 同年3月4日、 未成年者が、 愛人女とともに小学校から帰宅する途上、未成年者を原審相手方及びその母を含む数人で取り囲んだ上でその身柄を確保し、 原審相手方の肩書住所地 (以下 「原審相手方自宅」という。)に連れ帰った (本件連れ帰り)。 本件連れ帰りの際、未成年者に付き添って共に下校していた愛人女は、 原審相手方らに抵抗して負傷した。
その後、 未成年者は、 原審相手方と共に、 原審相手方自宅で生活している。
(9)同4頁19行目の「キ」 を 「ク」 に、 5頁1行目の「相手方自宅」 を 「原審相手方自宅」 にそれぞれ改める。
(10) 同5頁 3行目冒頭から同行目の「〇〇支部は、 」 までを次のとおり改める。
「ケ原審相手方は、 平成30年5月31日、 大阪家庭裁判所〇〇支部に、原審申立人に対する婚姻費用分担調停事件を申し立て (同裁判所平成30年 (家イ) 第335号)、 同調停事件は、 令和3年1月15日不成立となり、 審判手続に移行して、同裁判所は、 同年10月18日、」(11)同5頁 7行目末尾の次に、 改行の上次のとおり加える。
令和3年、 愛人女は、 京都地方裁判所に、 原審相手方及びその母に対し、本件連れ帰りの際、 利倉が負傷したことについて、 原審相手方及びその母を被告として、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起した (同裁判所令和3年(ワ) 第14✕✕号)。 これに対し、 原審相手方及びその母は、 愛人女に対し、 原審申立人と共謀して、未成年者を連れ去り (本件連れ帰り)、 その後、未成年者の引渡し申立事件や人身保護請求事件で原審相手方が勝訴したにもかかわらず、 未成年者を引き渡さなかったこと、 原審申立人と不貞関係にあること、上記損害賠償請求訴訟が訴権の濫用であることなどを主張して、反訴として損害賠償請求訴訟を提起した (同
裁判所令和3年(ワ)第20✕✕号)。 同裁判所は、 令和4年11月10日、 原審相手方らの反訴のうち不貞関係の不法行為を認め、 愛人女に対し、原審相手方への慰謝料等110万円の支払を命じ、 愛人女の本訴請求及び原審相手方の母の反訴請求並びに原審相手方のその余の反訴請求をいずれも棄却するとの判決をした。」
同5頁 8行目の「ケ」 を 「サ」に改める。 同5頁 15行目冒頭から16行目末尾までを次のとおり改める。 原審申立人は 同判決を不服として控訴し、 原審相手方は附帯控訴した
(大阪高等裁判所令和5年(ネ) 第1✕✕号、第✕✕号) ところ、 同裁判所は、同年12月21日、 財産分与として原審申立人が原審相手方に対して853万円及びこれに対する同判決確定の日の翌日から支払済みまで年 3%の割合による遅延損害金を支払うよう変更するとともに、 その余の控訴及び附帯控訴をいずれも棄却するとの判決を言い渡し、 同判決はその頃確定した。
同5頁 18行目の 「相手方が」 から20行目の「という。)は、」までを「別件面会交流事件において、 上記カのとおり、 調査官調査が命じられ、調査官は、に改め、 22行目、 24行目の「(〇〇) 」 をいずれも削る。
(15)同6頁7行目の「京都家庭裁判所」 から8行目の「という。)は、」 までを 「京都家庭裁判所は、 令和3年10月28日、 調査官に対し、 子の状況の調査を命じ、 調査官は、 」に、8行目の 「相手方自宅」 を 「原審相手方自宅」 に、 11行目の「通り」 を 「とおり」 に 23行目の「家」 を 「原審相手方自宅」にそれぞれ改め、 同行目の「(京都)」を削る。
(16) 同7 頁 13行目の 「未成年者は、 」 の次に 2023 (令和5)年2月5日付けで、 」 を、 14行目の「思い出したくない、 」 の次に「自分の気持ちもよく分からなく整理できていません、 」 をそれぞれ加える。
2 検 討
(1) 子と離れて暮らす親と子との面会交流を実施すべきか否か、 面会交流の具体的内容については、 別居親と子の従前の関係や交流の状況、子の心身の状況、意向及び心情、 同居親と別居親との関係や面会交流についての考え方、面会交流の実施が同居親に与える影響その他一切の事情を考慮して、両親の協議により定めることとなるが、 協議が定まらない場合は、 裁判所が定めることとなる。 その場合、 子の利益を最も優先して考慮すべきである(民法766条1項、3項)。
(2) 本件は、 原審判を補正した上で引用したとおり、 原審申立人が、 平成30年3月26日 (当時未成年者小学校入学直前) に、 原審相手方の出張中に未成年者を連れて当時の自宅から出て、 平成30年の別居を開始し (その直後に未成年者は京都市内の小学校に入学した。 )、 原審相手方に対して未成年者の居場所を知らせなかったことに端を発し、 原審相手方の申し立てた別件監護者指定審判及び別件保全審判の各事件において、 原審相手方が監護者と指定され、 未成年者を原審申立人から原審相手方に引き渡す審判がされ (これに伴う保全処分も認容された。 )、 原審申立人がした即時抗告も棄却されたにもかかわらず、 別件保全審判を債務名義とする強制執行及び別件監護者指定審判を債務名義とする強制執行において、 原審申立人は、 未成年者に対する説得もせず、かえって未成年者の拒絶を助長するような行為をして執行は不能となり、間接強制決定がされたにもかかわらず、 原審申立人は、 原審相手方に未成年者を引き渡さなかった。 また、 原審相手方が、別件人身保護事件を申し立て、 その過程で未成年者を原審相手方に引き渡すとの和解が成立したにもかかわらず、和解条項に基づく引渡しも不能となり、 さらに、 未成年者を釈放して原審相手方に引き渡す旨の判決がされたにもかかわらず、 未成年者の引渡しは実現せず、 そうした中で、 令和3年3月4日 (当時未成年者小学校3年生)、 原審相手方が下校途中の未成年者を連れ帰るに至り (本件連れ帰り)、 その後、 現在 (未成年者小学校6年生) まで原審相手方が未成年者を監護しているという、 異例の経過をたどった事案である。
この間約6年にわたり、 未成年者は、多数の裁判における調査官による調査や、 別件人身保護事件の国選代理人による調査などを多数回受けており、 その調査の際には、 原審申立人と原審相手方の双方に対して気を遣う様子がうかがえた。
上記のとおり、 未成年者は、自身の監護や面会交流をめぐる原審申立人と原審相手方との壮絶な争いの渦中に巻き込まれており、 その精神的な負担は未成年者にとって真に苛烈なものであったというほかない。 特に、原審申立人による監護開始 (平成30年の別居)と原審相手方による監護開始 (本件連れ帰り令和3年の別居) は、いずれも事前予告のない突然の実力行使であり、 未成年者にとっては、事前に説明や意向確認はされておらず、心の準備もできないままに突然強行され、生活環境の大きな変化(居住場所の大きな変更を伴い、入学予定の学校の変更や転校) を余儀なくされ、 しかもその後他方親との交流も絶たれるという経験を、小学生の時期に2度にわたりしたことになる。 加えて、 原審申立人は、令和3年の別居後、 原審相手方が原審申立人に秘匿していた居所を突き止め、 探偵社が同所を数か月間にわたり日夜監視していたもので、未成年者は、その後、原審申立人から、監護者の変更や面会交流を求められるという経験もしている。
未成年者は、別件人身保護事件が提起され、原審申立人と原審相手方との紛争が最も激しさを増していた頃である令和2年3月 (当時未成年者小学校2年生) 頃のほか、本件連れ帰り後の令和3年5月 (原審申立人が探偵社により居所を日夜監視していた時期。当時未成年者は小学校4年生) 以降の約1年間にわたり、 不登校の状態にあったもので、このような激しい紛争のさなかで長期間過ごすことを余儀なくされた未成年者にとって、本来の子どもらしい生活を心配なく伸び伸びと送ることが困難であったことが容易に推察されるのであって、未成年者に与えた影響は甚大というべきである。 こうしたことから、本件において面会交流の可否及び内容について検討する上では、上記の経緯、 ことにこの約6年の間の極めて特異で過酷な体験の連続により、 未成年者の心情に重大な影響が生じたことを十分に考慮する必要がある。
(3) 本件においては、現在に至っても、 原審申立人と原審相手方は、いずれも抽象的な法律論と、未成年者の意思を自己に都合のいいように解釈した 主張のほか、他者に対する非難に終始しており、双方とも、本件で最も考慮しなければならないはずの未成年者の心情に対し、 十分な配慮がないといわざるを得ない。原審判を補正した上で引用したとおり、 原審申立人と原審相手方は、長期間にわたって未成年者を苛烈な紛争に巻き込み、 その精神面に甚大な影響を与えたことに対する認識やその点の配慮が希薄といわざるを得ず、この点は本件を検討する上で十分考慮せざるを得ない。
上記に加え、原審申立人においては、未成年者の表面上の言動を理由として、未成年者を原審相手方に引き渡すように命じる旨の数次の確定した 裁判の結果に従わず (むしろ強制執行の場面においては、 引渡しが不能となるよう未成年者に働きかけていた。)、引渡しに応じることがなかったものであり、そのこと自体の問題性に加え、 未成年者が自らの引渡しを内容とする調査や強制執行に何度も直面せざるを得ない事態につながることにもなった。 また、 令和3年3月の本件連れ帰り以降同年7月までの間に、未成年者に対して送付した手紙や物品(ただし、未成年者は受領を希望せず、受領していない。)にも、再び原審申立人が未成年者を取り戻すことを示唆するなど、 未成年者を不安定にしかねない不適切な内容のものが含まれていた。 他方、 原審相手方においても、 様々な法的手続を踏んでも原審申立人が未成年者の引渡しや面会に応じなかったという事情があったにせよ、未成年者の通学する小学校を予告なく訪れたり、下校中の未成年者を数人で取り囲んで本件連れ帰りを実行するなど、 突然混乱する状況に置かれる未成年者の心情に対しての配慮が不十分であったといわざるを得ない(内容は不明ながら、 原審相手方は事前に警察に相談したともいうが、上記認定を左右するような事情とは認められない。)。
このように、 本件を検討する上では、 原審申立人と原審相手方のそれぞれに未成年者に対する配慮に欠けるなどの問題があったことを指摘せざるを得ない(なお、未成年者の2023 (令和5)年2月5日付けの文書 (乙10)にある「自分の気持ちもよく分からなく整理できていません。」 との記載は、ごく幼い時期から父母の間の紛争に翻弄され続け、自らの体験や気持ちを整理できていない率直な心情を表すものといえる。)。
(4)以上によれば、未成年者に対しては、 約6年もの長きにわたって継続してきた原審申立人と原審相手方の苛烈な対立関係から距離を置き、父母の間の紛争を意識することなく、精神的にも落ち着いた人間関係の中で、その年齢にふさわしい正常な生活を送るための環境を整備するとともに、未成年者がこれまでの体験や気持ちに思いを致して整理することを通じ、 学校生活も含めて、 自分自身の意向を最も重視した選択をすることを可能とするための期間を確保することが必須というべきである。 また、 上記のとおり未成年者が長期にわたる父母の間の紛争の渦中にあって、 数回の強制執行及び2回の事前予告のない一方の親との別居及び転校 (1回目は入学予定の小学校の変更)という苛烈な経験をしたことからすると、未成年者に対しては、令和6年4月の中学校進学の後、 学校生活を充実させ、卒業後の進路選択を未成年者の希望どおりに実現できるよう、 安定した環境を整えることを何よりも優先すべきである。
そうすると、未成年者が中学校を卒業する令和9年3月末日までの間は、間接交流も含めて、 原審申立人との面会交流を認めないこととするのが相当である。 間接交流については、仮に原審相手方と原審申立人の間のやりとりに限定するとしても、 原審申立人が原審相手方自宅を突き止め探偵社によって原審相手方自宅を執拗に監視するという行動に出たことがあったことにも鑑みると、上記のとおり父母の間の苛烈な紛争に巻き込まれた未成年者の不安を呼び起こす契機となることが懸念されることから、これも認めないこととするほかない。そして、その後については、未成年者が中学校を卒業した同年4月から5月までの間に、 原審相手方が原審申立人に未成年者の進路等の近況を報告することとし、その上で、 未成年者の卒業後の生活 (高校に進学した場合は高校生活) が安定するであろう令和9年10月以降、 原審申立人と原審相手方が面会交流について再協議することが未成年者の利益に最も適うものと判断する。 なお、 調査官による複数回の学校関係調査の結果によれば、未成年者は、感受性の鋭い利発な子であることがうかがえ、不登校となっていた時期はあるが、 その後は一応登校はできるようになっており、それ以前の苛烈な状況に鑑みると、 未成年者には一定程度の回復力が備わっていることもうかがえ、 また、 原審申立人と原審相手方はそれぞれ未成年者が小学生の間におよそ3年間ずつ生活を共にした体験があり、 各人なりには未成年者をいつくしみ育てていたことも認められる。 未成年者の成長、 自己実現において、 それまでの体験や気持ちを整理し、父である原審申立人との関係を見つめ直し、 その考えや人間性を自分自身で再度判断する機会を持つことは必要なことであると考えられる。
こうしたことから、 未成年者が中学校を卒業した年の10月頃に、 原審申立人と原審相手方との面会交流の協議自体は再開することとするのが 相当である。ただし、 その頃までに未成年者がそれまでの体験や気持ちの整理ができ、 将来の希望なども持てる程度に心身のダメージを回復することができたことがうかがえる場合には、 面会交流の実施を検討するのが相当であるが、未成年者の状況が、 原審申立人との面会交流を開始とするのに適するまでに回復したとうかがえない場合には、未成年者に面会交流を無理強いすることにならないよう、慎重に検討することが求められる。
結 論
よって、 原審判を上記の限度で変更することとして、主文のとおり決定する。
令和6年2月8日 大阪高等裁判所第9民事部 裁判長裁判官 長谷部 幸
いくつかの裁判を傍聴した感想
母親が子の通う学校に突然現れたのではありません。事前に校長や担任の許可、学校行事の連絡得ています。母親は子どもに母の存在を忘れてもらわないようにしたと述べている。コロナ禍であったため保護者会がリモートのため参加させてもらい保護者や学校関係者に現状説明をした。後日連れ戻し行為の時も学校は理解を示してくれた
父親との同居の際に父親は子は愛人になついているという証言をしたが、子はそのような事を言わなければイジメに会うことになるのではないか、当時小2~3、人の顔色を見るような子どもになっていたと後日母親が話していた。
連れ去りも連れ戻しも子にとって辛いことであったが、引渡命令、強制執行も無視したからの自力救済、そのままおかしな生活が続けていること子にとって不幸せではなかったかと筆者は想う
父親が面会交流調停を出してきたが住所は引っ越した住所、母親の代理人が住所を出せと主張しても出さなかった。住所居所不定の人間に子どもは会わせられない、という判断もあったのかもしれない
連れ戻し後に母子の住まいする部屋に探偵などに見張られ学校に登校どころか外出もできなかった。地元警察の見回り、新しい学校の先生らの協力でようやく母子は健康を取り戻した。
結局、子や母にDVもなく後付けで母親は病気で子を監護できないといういつものパターン、先に子どもを連れ去らなければ二度と子どもに会えないと考えたのでしょう
とりあえず連れ去って子どもを人質にして有利に交渉しようという弁護士の指示に従って最悪の結果となったことは事実のよう。
連れ去りさえしなければという事件でした。
『判決書』裁判所が母親らの子どもの連れ戻しを認めた異例の判決・令和4年11月10日京都地裁
再通知「裁判のお知らせ」「子ども連れ去り」に加担した医師と勤務先公立病院に損害賠償請求訴訟(大阪地裁)2月15日AM10時