URL:https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50053
最高裁判所判例集
事件番号::平成 14(あ)805 事件名:国外移送略取,器物損壊被告事件 裁判年月日:平成 15 年 3 月 18 日
法廷名:最高裁判所第二小法廷 裁判種別:決定
結果:棄却
判例集等巻・号・頁 刑集 第 57 巻 3 号 371 頁
原審裁判所名:東京高等裁判所 原審事件番号:平成 13(う)1901
原審裁判年月日:平成 14 年 3 月 15 日
判示事項:日本人である妻と別居中の外国人が妻において監護養育していた子を母国に連れ去る目的で有形力を用いて連れ出した行為について国外移送略取罪が成立するとされた 事例
裁判要旨
日本人である妻と別居中のオランダ国籍の者が,妻において監護養育していた2歳4か月 の子をオランダに連れ去る目的で入院中の病院から有形力を用いて連れ出した判示の行為は,国外移送略取罪に該当し,その者が親権者の1人として子を自分の母国に連れ帰ろう としたものであることを考慮しても,その違法性は阻却されない。
参照法条:刑法 35 条,刑法 226 条 1 項
全文:全文 PDF ファイル
主 文
本件上告を棄却する。 (原判決 懲役2年、執行猶予3年)
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理 由
弁護人真木幸夫の上告趣意は,違憲をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実 誤認,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。 なお,所論にかんがみ,国外移送略取罪の成否について,職権で判断する。
原判決が是認する第1審判決の認定によると,オランダ国籍で日本人の妻と婚姻していた被告人が,平成12年9月25日午前3時15分ころ,別居中の妻が監護 養育していた2人の間の長女(当時2歳4か月)を,オランダに連れ去る目的で, 長女が妻に付き添われて入院していた山梨県南巨摩郡a町内の病院のベッド上から ,両足を引っ張って逆さにつり上げ,脇に抱えて連れ去り,あらかじめ止めておい た自動車に乗せて発進させたというのである。
【要旨】以上の事実関係によれば,被告人は,共同親権者の1人である別居中の妻のもとで平穏に暮らしていた長女を,外国に連れ去る目的で,入院中の病院から有形力を用いて連れ出し,保護されている環境から引き離して自分の事実的支配下に置いたのであるから,被告人の行為が国外移送略取罪に当たることは明らかである。そして,その態様も悪質であって,被告人が親権者の1人であり,長女を自分の母国に連れ帰ろうとしたものであることを考慮しても,違法性が阻却されるような例外的な場合に当たらないから,国外移送略取罪の成立を認めた原判断は、正当である。
よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項本文により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 亀山継夫 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷 玄 裁判官 滝井繁男)
裁判年月日 平成14年3月15日 裁判所名 東京高裁 裁判区分 判決
事件番号 平13 (5) 1901号 事件名
裁判結果 控訴棄却 上訴等 上告
裁判経過
上告審 平成15年 3月18日 最高裁第二小法廷 決定 平14 (あ)805号 国外移送略取、器物損壞被告事件
第一審 平成13年 7月12日 甲府地裁 判決平12 (わ) 388号
裁判年月日 平成14年 3月15日 裁判所名 東京高裁 裁判区分 判決
事件番号 平13 (う) 1901号 事件名 裁判結果 控訴棄却 上訴等 上告 文献番号
主 文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小倉京子 (主任)、 同田邊護共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
所論は、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り、事実誤認、量刑不当の主張である。 なお、以下の表記については、原判決のそれに従う。
1 訴訟手続の法令違反の主張について
(1) 原判決は、「本件第1の事実について弁護人の主張に対する判断」 第3の3の (1) の「本件連れ去り行為が 『略取』 に該当するか否かについて」において、
(1) 「このよう な事実経過と被告人の一連の行為からすると、被告人は、たとえAとの間で離婚の裁判手続が開始されたり、最終的には離婚が成立してBの親権や監護権の所在が決定して面接交渉の合意が定められたとしても、それが自分の希望に適っていなければ、 自分がBを養育したり思うように自由な時間を過ごしたいとの欲求に逆らえず、これを満たすために、遅かれ早かれ実力を行使した上で、無断でBを連れ去ってオランダに移ってしまう可能性が極めて高かったといわざるを得ない。 しかも、オランダへ移ってしまえば、日本国内での訴訟及びそれ によって決定される親権や監護権の所在や面接交渉の合意などは有名無実になる可能性が高 「いから」と判示し、
〈2〉 引き続いて、「結局のところ、本件連れ去り行為当時、被告人 には、日本での法的手続や対立親権者との合意を尊重する意思がなかったと認められるのであって、そうすると、本件連れ去り行為には、相当な法的手続によって確保されるべき子の 自由に対する配慮が見受けられず、親権の名の下で自己の欲求を満たすがための一方的な行 為にすぎないと評価するほかなく、本件連れ去り行為によってBの病状が悪化する危険性もあったことを併せ考えれば、 親権者の子に対する裁量行為とは到底いえない顕著な違法性があるというべきである。 したがって、本件連れ去り行為は、刑法上 『略取及び誘拐の罪』に いう 『略取』に該当することが認められる。」と判示する。
(2) 所論は、要するに、原判決判示 〈1〉 の部分は、すべて本件行為時には起こってい ない架空のできごとであって、原判決は、 このように、本件行為時にいまだ起こっていない
架空の状況を想定し、その架空の状況で被告人がとのように振る舞うか、 その結果、その架空の状況がどのように変化するかを推測し、 その推測に基づいて、被告人には 「日本での法的手続や対立当事者との合意を尊重する意思がなかった」 と推定して、その推定が、 本件行 為が 「略取」にあたる主たる理由としているが、 このような架空のできごとに基礎をおく事実認定は、 証拠に基づいたものではなく、原判決には、 訴訟手続の法令違反があることは明らかである、というのである。
そこで、記録を調査して検討する。
(3) なるほど、記録を検討しても、被告人とAとの間で離婚の裁判手続が開始されたり離婚が成立してBの親権や監護権の所在が決定して面接交渉の合意が定められたりしたよ うなことはうかがえず、原判決が判示する〈1〉 部分を見ても、これらが将来のできごととしてとらえられていることは明らかである。
しかしながら、前記のとおり、原判決の 「このような事実経過と被告人の一連の行為からすると」という判示を見れば、 原判決は、 証拠に基づいて認定した事実経過と被告人の一連 の行為から、合理的に推測できるものとして、前記 〈1〉 部分の将来の可能性を判断しているのであって、その判断が証拠に基づいていることは明らかである。
また、原判決は、そのような将来の可能性の高さから、結局のところとして、本件連れ去り行為当時の犯行時においても、被告人には 「日本での法的手続や対立当事者との合意を尊重する意思がなかった」 と認められると判断しているのであるから、 その判断は、やはり証拠に基づいていることは明らかである。
加えて、原判決は、前記 〈1〉 のように判示する直前において、「被告人は、 夫婦関係を修復させたいとかBの養育を自分も行いたいとの欲求を一刻も早く叶えんがため、 調停手続中にBをオランダに連れ帰ったときと同様、 再び実力で自分の目的を達成しようとすべく、 深夜、Bの入院先の病院に立ち入って、 Aの隙を見てBを連れ出したというのである。」と 判示しているところ、 被告人は、 捜査段階において、 そのような考えでBを入院先の病院か ら連れ出したことを供述している (警察官調書・乙6、7、 検察官調書・乙11、12) の であるから、被告人のそのような考えに照らしても、本件連れ去り行為当時、被告人には「 日本での法的手続や対立当事者との合意を尊重する意思がなかった」と認めて差し支えない
以上のとおり、原判決判示 〈1〉、〈2〉 の部分に証拠に基づかないで事実を認定した点 は認められず、 訴訟手続の法令違反をいう論旨は理由がない。
2 事実誤認の主張について
(1) 原判決は、「認定事実」 第1の「犯行に至る経緯」 において、被告人が本件国外移 送略取の犯行に至る経緯を認定、 判示し、 同「犯罪事実」 において、 日本国外に移送する目的でBを略取した被告人の犯罪事実を認定、 判示し、さらに、「本件第1の事実について弁護人の主張に対する判断」 第3の1において、 関係証拠により (1) ないし (13) の事実を認定 し、同2において、認定した事実から推認され事実を判示し、同3の(1)の「本件連れ去り 行為が『略取』に該当するか否かについて」 において、 「結局のところ、 本件連れ去り行為当時、 被告人には、日本での法的手続や対立親権者との合意を尊重する意思がなかったと認められるのであって、 そうすると、 本件連れ去り行為には、相当な法的手続によって確保さ れるべき子の自由に対する配慮が見受けられず、 親権の名の下で自己の欲求を満たすがため の一方的な行為にすぎないと評価するほかなく、 本件連れ去り行為によってBの病状が悪化 する危険性もあったことを併せ考えれば、親権者の子に対する裁量行為とは到底いえない顕著な違法性があるというべきである。
したがって、本件連れ去り行為は、刑法上『略取及び 誘拐の罪』 にいう 『略取』 に該当することが認められる。」と判示する。
(2) 所論は、要するに、原判決が、被告人の本件連れ去り行為を「略取」と認定判示 したのは事実誤認である、 というのである。
そこで、記録を調査して検討すると、原判決が 「認定事実」 第1の「犯罪事実」及び「 弁護人の主張に対する判断」 第3において認定、 判示するところは、当裁判所も正当として是認することができる。 所論にかんがみ、 付言する。
(3) 所論は、原判決が 「本件第1の事実について弁護人の主張に対する判断」第3の3 の (1) で判示する 「子の自由」 は、子の利益という観点から判断すべきものであり、 真に子が自由であるといえるためには、子が父母の両方から愛情を受け、 監護される利益を享受で きなければならないが、Aは、Bが父である被告人から愛情を受け、 保育監護される利益と自身の夫としての被告人に対する愛情の喪失を混同し、 被告人が父親としてBに会う機会を 一方的に制限するという形で、Bが被告人から愛情を受け保育監護される権利を奪っていた のであり、本件前のBの置かれた状態は、子の視点からも「自由」 といえるものではなく、 このようにBの利益が不当に制限された状態を、 国家が刑罰をもって保護すべき 「子の自由 」ということはできない、と主張する。
ア 関係証拠によれば、 被告人がAと婚姻し、その後、別居するようになり、間もなくB が生まれ、Aの下で養育されているBと被告人の面接交渉の状況等については、 原判決が同 第3の1の(1) ないし (8) (11) で判示するとおりであると認められ、 また、 所論指摘のとおり、
〈1〉 被告人は、 Aとの間で、 Aが実家でBを養育するが、土曜日、日曜日及び祭日 にはBと会えることになっていたところ、 Aが申し立てた離婚調停の第1回の期日後、 被告人が会いたいと言ったものの、 Aがこれを断ったことがあったこと、
〈2〉 平成11年12月に離婚調停が不成立となってから、 被告人は、Aに電話をかけても居留守を使われたり土曜日にBに会える回数が減ったりしたこと、
〈3〉 B が a 病院に入院した際、 Aは看 護婦に被告人が来ても会わせないようにして欲しいなどと頼んでいたことが認められる。
イ しかしながら、前記 〈1〉 ないし 〈3〉に関し、 Aは、 「彼がBに会いに来るときは 別に断りもせず会わせていた。 しかし、私が離婚調停を申し立てたその年の平成11年7 月に第1回の調停があり、 その後、 彼の会いたいという要請を断ったことがあった。 彼の言うとおりにすると、 土曜、日曜から更に拡大して会わなければならないと思ったからである
それから間もなく、彼はBを強引にオランダに連れて帰った。 私は、オランダに行って、彼にホリディに会うと約束して、 彼とBと日本に帰ってきたが、帰ってきてからも彼とは別居し、これまでどおり私がBを育て、彼がBに会いに来ていた。 彼から土曜日にも二人で会 って欲しいと言われ、できるだけ約束を守り、土曜日に二人で、日曜、祭日は三人で会うよ うにしていた。 しかし、 平成12年になってからその機会も少なくなった。 それは、Bが病気をして入院し、私が病院で看病したりしたこともあったが、 彼が、 Bのパスポートを持っていて、それを使ってオランダに連れ帰るかもしれないことから、 そのパスポートを私達に渡すか、 第三者に預けるように提案したのに、彼がそのようにしなかったからである。 私は 彼がBに会いたいと言えば、 日曜、祭日はいつでも会わせるなどしていたが、 彼がホリディに会うという約束なのに、それ以外にも要求したり、また 私の実家に何回となく執拗 にやって来たりした時など、 ものには限界があるので、 時々断ったこともあった。 それが余 りにも執拗で、 また、同年5月には、 家の玄関のガラスも割るなどの乱暴をしたので、 それ以降は、できるだけBを会わせないようにし、 私も彼を避けていた。 それも、 彼が自分で迷惑をかけるようなことをしたからである。」 旨供述し (Aの警察官調書・甲6、検察官調書 ・甲13) 被告人にBを会わせない原因が被告人にあることを述べており、 また、 被告人 も、警察官調書(乙6)において、「(平成12年9月24日に入院中のBを見舞った後)
私は、アパートに戻ってきてから、 Aと別々に暮らしている間、 私が Aに対して、Aの言 うようにオランダで仕事を探したり、 Aや子供のためにいろいろ考えて行動していたが、 『 Aは私を信用してくれない。両親もAと同じ考えで私のことを信用してくれない。去年の8 月にBをオランダに連れて行った時にもお母さんを怪我させたことがあり、 その後はお母さ んも私を信用しなくなった。 また、 5月ころ、玄関のガラスを割ったことでも信用されなく なった。』といろいろ考えた。」 旨供述しているのであって、これら各供述によれば、Aに おいて、被告人がBに会う機会を制限したりしていることについては、 相当の理由があった ことが認められ、 Aが一方的にこれを制限しているものということはできない。
ウ なるほど、 所論のいうように、 子であるBからすれば、 父母である被告人とAの両方から保育監護されるべき利益を享受できなければならないことは当然のこととしても、Aと 被告人との折り合いが悪くなって別居し、Aが実家でBを養育している以上、Bが被告人と Aの両方から同じように保育監護されるということは事実上不可能なことであって、 前記の ような事情を除外して、別居していても、Bが被告人とAの両方から同じように保育監護さ れるべきであるとの一般論に依拠し、 子であるBの被告人から保育監護される権利が不当に制限されているという所論は、にわかに賛成し難い。
(4) また、所論は、被告人がBをオランダに連れて行こうとした目的は、あくまでBをオランダの家族に会わせることと、Bの面接交渉についてAと話し合う機会を作るためであ って、被告人には、AがBを保育監護する権利を奪う目的などはまったくなく、 子を被告人 の親族に会わせることが親権者の裁量の範囲外ということはできないし、Aと面接交渉につ いて話し合う機会を作ることを 「相当な法的手続によって確保されるべき子の自由に対する 配慮が見受けられない行為」 ということはできない、 と主張する。
ア なるほど、 関係証拠によれば、本件当時、 被告人の父親が病気を患っていたことが認 められ、被告人は、 原審公判において、 父親の病状が心配で、 父親にBを会わせることや、 Aがオランダにやって来て、 約束を守るように話し会うつもりだったなどと、本件連れ去り 行為の目的を供述している。
しかしながら、 被告人は、 捜査段階においては、 「『今の状態のままでは、 AとAの両親 の3人は、私を家族と思っていない。 私は一人になっている。 日本では、Aの両親がいることから、Aと二人で今後のことを話すことができない。 AとBと3人で生活するには、Aと 二人で話す機会を作らなければならない。 それには、Bをオランダに連れて行けば、去年の 8月と同じようにAがオランダに来るから、 話をすることができる。3人で生活するにはオ ランダに住むしか方法はない。』と考え、病院からBを連れ出してオランダに行くことにし た。」と供述し (警察官調書・乙6)、また、「去年の8月にオランダにBを連れ帰ったとき、Aが間もなくオランダにやって来て、 それから日本に帰ったが、 その後、週末にBも含 めて3人で会ったりして楽しい思いをしたことがあった。 それで、今回もBを連れてオラン ダに帰れば、 Aも必ずオランダに迎えに来て、 そこで、 Aも含めて3人でオランダで生活するか、日本で生活するか、 いずれにしても、 また3人でこれをきっかけに生活できるかもし れないと考え、 実行に移すことにした。」 (検察官調書・乙11)、 「Aが反対しているので、日本では3人で暮らすことができない。 日本ではAとAの両親がいて、 私との関係は3 対1になってしまうので、オランダに行けば、 その3対1という均衡がなくなる。 私が、 B をオランダに連れて行けば、 Aもオランダについて来る、 そうすれば、 3人一緒にオランダ で幸せに生活できると思った、 」 などと供述して (検察官調書・乙12)、オランダで話し合う考えであったことを供述しているものの、 病気の父親にBを会わせるということは何ら 供述していない上、被告人は、 「娘のBをa 病院から連れ出したのは、妻の私に対する態度 が気に入らないことです。」(警察官調書・乙2)、 「なぜ、この時期(平成12年9月2 5日)に、また真夜中 (午前3時過ぎの深夜)にBを連れ出すようなことをしたのか。」と の問いに対して、 「これは私の1年来のAやAの父母に対する怒りが頂点に達したと見て結 構です。」「私は、平成11年8月にBを連れてオランダに帰りましたが、 日本にAらと共に帰ってからも、 Aらは、 私がBに会うのを拒否したり、 また、私との間も元に戻そうとし なかったりして、 積もりに積もったものが頂点に達していたのです。」 (検察官調書・乙1 3)と供述している
イ これら被告人の供述によれば、被告人が、病気の父親にBを会わせたいという心情を 有していたことは否定できないものの、日本では、3人で暮らすという被告人の望んでいる 話合いは到底できず、その望みを叶えることは困難であるが、 オランダにBを連れて行けば、Aも後を追って来て、話合いも有利に進めることができ、 Aも被告人の要求を聞き入れざ るを得なくなり、 被告人の望みが達成できると考え、その望みを達成する目的で本件連れ去り行為に及んだものと認められ、 被告人には、本件連れ去り行為当時、 日本での法的手続や 対立親権者との合意を尊重する意思がなかったことは明らかである。
そうすると、原判決が判示するとおり、 本件連れ去り行為には、相当な法的手続によって 確保されるべき子の自由に対する配慮が見受けられず、 親権の名の下で自己の欲求を満たすがための一方的な行為と評価するほかなく、 後記のとおり、本件連れ去り行為によってBの 病状が悪化する危険もあったことを併せ考えれば、本件連れ去り行為は親権者の裁量行為で あるなどといえないことも明らかである。
ウ なお、この点に関し、 所論は、 被告人がBをオランダに連れて行ったまま日本に帰国せず、BがAから保育監護を受ける利益を剥奪される可能性は少なかった、 などと主張するが、前記被告人の捜査段階の供述に照らせば、このような所論は到底採用することはできない。
(5) さらに、所論は、原判決は、本件行為が 「略取」 に当たる理由として、「本件連れ去り行為によってBの病状が悪化する危険性もあった」 ことも挙げているが、 被告人は、Bの病状についての情報をAから故意に遮断されており、本件行為時に唯一有した情報は、平 成12年9月24日午後5時ころ、Bの点滴を外しに来た看護婦が 「もう点滴はしなくても よい。」と言ったことであり、 これにより、 被告人は 「Bはもう大丈夫だ。」と思ったものである、また、原判決は、 Bを病院から連れ去った後の被告人のBに対する保育監護状況に ついてまったく触れていないが、 被告人は、静かな場所に車を停めてBと共に眠り、 翌朝、 Bを着替えさせ、 Bに粥の朝食を与え、大阪に着いてホテルにチェックイン後は、 デパートでBの身の回りの品を揃えるなど、 父親らしくBを保育監護しているのであって、 仮にBの 病気がぶり返すような気配があれば、 被告人がBを医者に診せずに放置することはあり得ない、したがって、仮に本件行為時にBの病状が悪化する危険性があったとしても、事実、 Bが回復し始め、 その病状は落ち着いていたことに加えて、 その後も病状の悪化がないことから、そのこと一事をもって、Bが被告人から愛情を受けて保育監護を受ける権利を回復しよ うとした被告人の行為を「略取」 ということはできない、などと主張する。
ア なるほど、被告人は、 「9月24日に看護婦さんに聞いたところ、 『点滴は今日で終 わりました。』 と言われたので、 大分いいと思った。」(検察官調書・乙10)などと供述していることは、 所論指摘のとおりでありる。
しかしながら、関係証拠によれば、 Bの病状については、原判決が 「本件第1の事実につ いて弁護人の主張に対する判断」 第3の1の(11) で判示するとおりであって、 麻痺性の腸閉塞で9月22日に入院したBは、24日になって回復に向かったが、この状態は、点滴を続 けていたことから治る兆しが見えたにすぎず、 点滴を止めた場合、 状態が悪化することもあり、最低でも点滴を止めてから1日位は様子を見ないと退院できるか判断できなかったことから、25日の昼まで様子を見て、状態が落ち着いていたら退院することになっていたのであって、25日の昼に退院できたとしても、正常に戻ったということではなく、あくまで入院の必要がなくなったということであり、 退院した後もしばらくの間は安静が必要であった ことが認められ、 さらに、 被告人は、Aから、B の病気は腸の病気であると聞いていたことが認められる。
それにもかかわらず、 被告人が行った本件犯行の態様は、原判決が、「認定事実」 第1の 「犯罪事実」で判示するとおりであって、 深夜に、Bが入院している病院に立ち入り、 ベッ ドに寝ていたBの両足を引っ張って逆さに吊り上げ、 脇腹に抱えて連れ去り、止めていた車に乗せて発進して、Bを連れ去ったというものであり、 なるほど、原判決は、 被告人のその後の行動については触れていないが、前記Bの病状やその犯行態様を判示するだけでも、本件連れ去り行為によりBの病状が悪化する危険性があったことがうかがわれるのであって、 これを明らかにするために、 その後の被告人の行動を判示しなければならないものではない
イ加えて、被告人の供述 (警察官調書・乙39) によれば、 本件連れ去り行為後の被 告人の行動は、所論が指摘するとおりであると認められるが、 他方、「Bは大阪に行くまでどんな状態だったか。 あなたは、それに対してどのように対処したか。」との質問に対し、「Bは元気でした。 普通の人と同じように扱いました。 」 (検察官調書・ 乙10) と供述し ているのであるから、本件連れ去り行為によってBの病状が悪化する危険性がなかったなど と言えないことは明らかである。
(5) 以上のとおり、 本件連れ去り行為が略取にあたることは証拠上明らかであって、その旨認定、判示した原判決に誤りはない。
(6) その他、所論は、原判決に事実誤認があるとるる主張するが、 記録を検討しても、 原判決には、判決に影響を及ぼすような事実誤認は認められない。 事実誤認をいう論旨は理由がない。
3 法令適用の誤りの主張について
所論は、要するに、 (1) 本件に刑法226条1項を適用することは、 〈1〉 刑法の謙 抑主義に反する、 〈2〉 罪刑法定主義に反する (憲法31条違反) から、誤りである、 また、 (2) 刑法226条1項は本件のような事案は予定していないから、 本件に同条1項を適用することは、誤りである、というのである。
そこで、検討するに、所論は、要するに、 本件連れ去り行為は、親権の一内容たる保育監 護権の行使として、また、Aとの親権の奪い合いとして行われたものであり、 被告人が本国 の父にBを会わせるために、一時的に本国に連れて行くという目的であったなどということ を根拠にして主張を展開しているが、この点は前記「事実誤認の主張について」 において判 断したとおりであって、 本件連れ去り行為は、 所論が主張するようなものではないから、 所 論は前提を欠き、 失当である。
また、親権者が刑法226条1項の主体たりうるか否かはその規定から不明確である、同条1項は、同条2項とともに国際人身売買を取り締まるために定められたものであるから、 同条1項の「国外移送目的」とは、 国際人身売買と同様の違法性を有するものと解すべきで あるなどという所論は、独自の見解であって、到底採用できない。
原判決が「認定事実」第1の「犯罪事実」で認定した事実によれば、 被告人の本件連れ去 り行為が刑法226条1項に該当することは明らかであって、本件に同条1項を適用した原 判決に法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
4 量刑不当の主張について
所論は、要するに、 原判決の懲役2年、3年間執行猶予の刑は重過ぎて不当である、 というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果も併せて検討すると、 本件は、オ ランダ人である被告人が、(1) 日本人である妻の下で養育されている娘を、オランダに移 送する目的で、 妻が付き添って入院していた病院から車に乗せて連れ去ったという国外移送 略取の事案(原判示第1) と、 (2) 別居している妻の実家の玄関引き戸のガラスを足で蹴 って割ったという器物損壊の事案 (同第2)である。
本件の犯情は、原判決が「量刑の理由」で判示しているとおりである。
(1)の国外移送略取の犯行を見ると、 被告人は、病気を患っている父親にBを会わせたい という気持ちもあったものの、Bに思うように会わせてもらえない状態が続いたことに加え Aから離婚調停まで申し立てられて離婚を迫られ、 被告人が応じなかったために調停が不 成立で終わったが、 夫婦関係を回復することはもはや極めて困難な状況になったことから、 Bと自由な時間を過ごしたり、 Aともやり直して、 3人一緒に暮らすためには、Bをオランダに連れて行くしかないと考えて本件犯行に及んだものであって、その動機は、身勝手で自己中心的であるといわざるを得ない。 また、その犯行の態様は、あらかじめ船の切符を用意し、Aの父親らがBのパスポートを渡すようになどという要求に従わないでこれを自ら保管 し続け、 Bの入院している病院の夜間救急出入口付近に、逃走しやすいように乗ってきた車のエンジンをかけて運転席のドアを開けたままにした上で、 深夜、 B の病室に立ち入り、添 い寝をしているAの隙をうかがい、素早くベッドで寝ているBの両足を引っ張って逆に吊り 上げ、Bを脇腹に抱えるや、 病院の廊下、階段を疾走して車に乗り込み、被告人の後を追い 掛けて来て車にしがみついたAにかまわず車を急発進させ、 A を振り切って逃走したものであって、計画的で危険な犯行である。
病院から連れ去られたBは、腸閉塞で入院中であり、 点滴をしなくてもよい状態には回復したものの、完治したわけではなく、 本件連れ去り行為の結果、 場合によってはBの病状が 悪化する可能性もあったのであり、 さらに、Aによれば、本件後、人見知りしたりするなどの変化が現れたというのであって、前記のような本件連れ去り行為の態様を見れば、そのようなBの変化も首肯でき、Bに与えた精神的な影響は軽微なものではない。
さらに、Bが寝ていたベッドの柵を高くするなどして警戒していたものの、 被告人にBを連れ去られたAが、 本件連れ去り行為により狂乱状態に陥り、「Bが保護され、エンゲルが 逮捕されるまでの間、 私は生きた心地がなく、精神的、肉体的に疲れ果ててしまいました。 」などと供述しているその心情も理解することができ、 これを軽視することはできない。
加えて、被告人は、 1年余り前にも、Bをオランダに連れて行き、 離婚調停を申し立てて いたAに対し、 休日などにBと会えると約束させていながら、自らAとの信頼関係を破壊す るような行為に出た上、 またもや同じように本件犯行に及んだものであって、 被告人には、 日本での法的手続等を尊重する意思が欠如しているといわざるを得ない。
次に、(2)の器物損壊の犯行を見ると、 本件は、 被告人が、前もって訪問することを告げていたのに、Aの別居先である実家が留守であったことに激怒して、その玄関引き戸のガラスを右足で蹴って割ったものであって、犯行の動機は極めて短絡的であり、 その犯行の態様 は悪質である。
以上によれば、 被告人の刑責を軽く見ることはできない。
そうすると、被告人は、本件連れ去り行為に及ぶにつき、 病気の父親にBを会わせたいと いう意思も有していたこと、 結果的には、Bの体調その他健康状態に異変はなく、Bに対する愛情に関してはAとの間で差があるとは認められないこと、 本件連れ去り行為によりAに 肉体的、精神的な苦痛を与えたことを反省し、 後悔していると認められること、 今後Aのも とからBを連れ去るようなことはしないと誓っていること、器物損壊の犯行は、突発的に行 われたものであって、 被害額は多額ではない上、 既に被害弁償が終わっていることなど所論 指摘の事情を考慮しても、原判決の前記量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。
よって、刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を被告人に負担させないことについて同法181条1項ただし書を適用して、 主文のとおり 判決する。