
令和6年ワ7544 5部
原告 櫻井康統(日弁連の届け出は桜井)
被告 東日本旅客鉄道(株) 代理人 小西貞行
被告 国 代理人 印南真吾、宮島光、村田一真、森山春香、塩野友久、入屋翔伍、田中天翔、平野貴之
令和5年4月1日右手小指を関節脱臼骨折、千葉県内の病院で措置
令和5年4月5日若松町整形外科で処置、本件病院に紹介状
令和5年4月10日本件病院(JR東京総合病院)を受診
令和5年8月7日本件病院を予約
令和5年8月30日午後2時、マスク着用を求められて拒否、診療拒否され、帰宅。
令和7年1月29日結審
令和7年4月16日判決
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告らは、原告に対し、連帯して、10万円を支払え。
第2 事案の概要
本件は、被告東日本旅客鉄道株式会社(以下「被告JR東日本」という。)が運営する病院(JR東京総合病院)においてマスクを着用しないことを理由に診療を拒否された原告が、当該診療拒否は違法である旨主張してね被告JR東日本に対しては不法行為責任又は債務不履行責任にに基づき、被告国に対しては規制権限不行使の違法を理由とする国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき、慰謝料10万円の連帯支払いを求める事案である。
1 前提事実
(1)略
(2) 原告が本件病院において診療を拒否されるまでの事実経過
ア 略
イ 略
ウ 略
エ 原告は、令和5年8月30日2時頃、本件病院を訪れ、受診案内票をもって整形外科の受付カウンターに向かい、同受付にした外来クロークにこれを提出した。その際、原告はマスクを着用しておらず、本件外来クロークからマスク着用を求められてこれを断り、同受付カウンターから離れて向かい合うロビーチェアに腰掛けた。
原告は、本件病院の事務部医事経理UNITのチーフ(以下「本件スタッフ」という。)から、マスク着用を求められ、これを拒否した。原告は、本件スタッフからマスクを着用できない理由を尋ねられると、「健康だからです。」と答えた。本件スタッフは、原告に対し、原告がマスクを着用できないのであれば、本件病院は原告に対する診療をお断りする旨を伝えた(以下「本件診療拒否」という。)。
これに対して原告、本件スタッフに対し、マスクを着用しないことを理由に診察できない旨を記載した書面の交付を求めたが断られた。原告は、本件スタッフに対し、マスクを着用しないことが診療拒否の理由かと他尋ねたところ、同人はそうであると回答し、本件病院としいての判断である旨告げた。原告は、本件スタッフの了承を得て、これらのやり取りを録音した。
原告は、本件スタッフの前記発言を受けて、本件病院で診療をうけることなく、帰宅した。
以下略
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前提事実及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 本件診療拒否当時(※令和5年8月30日)のマスク着用に関する被告国の対応等
ア 略
イ 新型コロナ対策推進本部の厚生労働省医政局地域医療計画課は、令和5年2月14日付で、各都道府県保健所設置市及び各特別区の衛生主管部(局)に向けて、「マスク着用の考え方の見直し等(特に医療機関における取扱い)について」と題する事務連絡を発出した。同事務連絡には、マスクの着用について、概要、以下のような記載がある。
・ 前記アの事務連絡において、高齢者等重症化リスクの高い者への感染を防ぐため、マスク着用が効果的な、①医療機関受診時、➁高齢者等重症化リスクが高い者が多く入院・生活する医療機関等への訪問時等には、マスクの着用を推奨するとされていることにつき、その内容を了知した上で管内の医療機関への周知を求める。
略
(2) 新型コロナウイルス感染症の感染経路及びマスク着用の効能についての見解
ア 世界保健機構は、その管理するホームページ (中略)「症状の有無にかかわらず、感染者から感染しウイルスが広がる可能性があります(略)」と記載されている。
イ 西浦博ほかが作成し、第116回新型コロナウイルス感染症タイサクアドレバイザリーボードのために提出された、令和5年2月8日付「マスク着用の有効性に関する科学的知見」と題する資料には、①新型コロナウイルス感染症は、発病前の潜伏期間に二次感染の約半分に相当する感染がおこること、また、発病せずに無症状のままである者や継承の感染者から感染が広まりやすいことが知られていること、➁①を前提に、新型コロナウイルス感染症の対策として、コミュニティ全体で症状の有無にかかわらずマスク着用が推奨ないし義務化されたこと、➂マスク着用をコミュニュティ全体で推奨した際、新規感染者数、入館患者数、死亡者数を減少させる効果があることを示唆する研究も存在すること、④日本と異なり、諸外国では、多くの場合、マスク着用が強制力を伴う着用義務として実施されてきたこと等の内容が記載されている。
略
2 争点(1)(本件診療拒否の不法行為該当性)について
(1) 前提事実(3)のとおり、医師法は、19条1項において、医師は正当な事由がない限り患者の診療の要求を拒否してはならない旨(いわゆる応招義務)を定めているが、この義務は医師が国に対して負担する公法上の義務であり、医師の患者に対する私法上の義務ではないから、医師による診療拒否が、直ちに患者に対する不法行為を構成するとはいえない。
もっとも、医師が公法上の応招義務を負うことによって、患者の生命・身体の悪しき状況が改善できる可能性が生じることに鑑みれば、個別の事案において、患者の生命・身体の状況が悪化しており緊急に診療を行うべき必要性があるか否か、医師側に診療拒否につき合理的理由があるかなどの諸般の事情を総合考慮した結果、医師による診療拒否が社会通念上許容される範囲を超えて違法と認められる場合に限り、当該診療拒否は患者に対する不法行為を構成するというべきである。なお、医師法19条1項は、医師の応招義務を定めたものであるが、意思を雇用して患者の診療を実施する医療機関もまた、患者に対して適切な診療を提供しなければならないのは医師個人と同様といえるから、医療機関としての死診療拒否の不法行為該当性についても、上記と同様に解すべきである。
(2) そこで、本件につき検討する。
ア 前提事実(2)アないしウのとおり、原告は、令和5年4月に右手小指のPIP関節脱臼骨折を理由に本件病院を受診し、指が動かせるようになれば固定を解除して積極的に動かしていった方がよいなどの説明を受けた後、同年8月7日に本件病院に架電し、上記の傷病について同月30日の再診の予約を入れたことが認められる。そうすると、原告が前記骨折につき本件病院を最初に受診した日から再診予約を入れるまでに3か月以上が経過している上、その再診予約の日から再診予約当日まではさらに20日以上が経過していることからすれば、原告自身も上記傷病について緊急の診察を求めていたものてばないとうかがわれ、かつ、本件病院における初診の際の説明内容に照らしても、原告の傷病が深刻な状態にあり、緊急の診療が必要であったとまでは認められない。
また、本件記録上、原告の前記骨折の治療が本件病院においてしか行えないものであったなどの、本件診療拒否当時、原告が他の医療機関での診療を受けることが困難であったというような事情も認められない。
イ 本件診療拒否当時、被告国は、新型コロナウイルス感染症対策としてのマスク着用につき、原則として個人の判断に委ねるとしつつ、医療機関受診時にはマスクの着用を推奨するとの方針を採用して医療機関及び国民に周知していたこと、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけが新型インフルエンザ感染症(2類相当)から5類に変更となって以降も患者数は増加している状況にあったことからすれば、感染症に対して脆弱な患者が多く訪れることが容易に想像できる医療機関において、当該医療機関における診察を求めて来訪する患者に対してマスクの着用を要請することは、必要かつ合理的な措置であるということができる。
さらに、本件病院においては、令和5年5月頃、認定事実(1)のような国の対応等を踏まえて、来訪者に対して従前どおりマスク着用の協力を依頼する方針としていたものの、マスクを着用しない来訪者に対する対応が個々の職印の判断によって様々であり、そのような中で、マスク着用を拒否する来訪者とのトラブルが発生した事をきっかけに、同年6月以降は健康上の理由なくマスク着用を拒否する患者の診療を断るとの方針を採用した事が認められる。かかる方針採用までの経緯や、多種多様な来訪者が訪れる医療機関において来訪者ごとの個別の状況に応じた対応をすることは困難であること、そして、世界保健機関が新型コロナウイルス感染症について無症状の感染者も他者に感染させる可能性があることを指摘していること等を併せ鑑みれば、本件病院が、新型コロナウイルス感染症の症状を有しているか否か等の個別事情を問わず一律に来訪者に対してマスクの着用を求め、来訪者が健康上の理由なくマスク着用を拒否する場合においてはその診療を一律に拒否する方針を採用したことには合理性があるというべきである。
そして、前提事実(2)エのとおり、原告が本件診療拒否当時にマスクを着用しない理由は、原告自身が健康であるからというものであり、原告にはマスクを着用することについての健康上の問題があったとは認められないから、本件病院が、前記のとおり合理性のある方針に従って原告の診療を拒否したことは不合理とは言えない。
ウ 以上のとおり、本件診療拒否当時に、原告の傷病が深刻な状況にあり、緊急に診療を行う必要があったとまでは認められないこと、本件病院における来訪者のマスク着用についての方針には合理性があること、原告のマスク着用拒否の理由に照らし、原告に対する診療拒否も不合理とはいえないことからすれば、本件診療拒否が社会通念上許容される範囲を超えて違法であると認めることはできないから、原告に対する不法行為に該当するものとは認められない。
(3)ア これに対して、原告は、そもそもマスク着用には新型コロナウイルス感染症の感染予防効果はないから、本件病院の方針には合理性が無いと主張し、自己の主張を裏付けるとする証拠を提出する。
上記各証拠によれば、マスクの感染予防効果について疑問を呈する見解もあることは認められる。しかし、その一方で、同効果を肯定する見解も存在することは認定事実(2)イのとおりであり、医療機関において被告国が推奨するマスク着用に前記効果がないと断定できる状況であったとは認められないから、本件病院が、被告国の対応を踏まえて、医療機関として診察に訪れた患者や来訪者に対して一律にマスク着用の協力を要請することも合理性を欠くとはいえないことは、やはり前記(2)イ説示のとおりである。
したがって、原告の上記主張は採用することができない。
イ また、原告は、①令和5年4月頃には新型コロナウイルス感染症による重症化率や死亡率は低下していた、➁原告にとって合理的根拠の認められないマスク着用を意に反して強制されることは、相当の精神的苦痛を生じさせるから、原告がマスクを着用しないことには健康上の理由があるとも主張する。
しかし、①については、確かに、甲23からは、令和5年4月頃には、新型コロナウイルス感染症流行当初に比して重症化率や死亡率化が低下傾向にあったことはうかがえるものの、認定事実(3)のとおり、同年5月以降同年8月頃まで、東京都内の新型コロナウイルス感染症感染者数はおおむね右肩上がりに増加していたことが認められることに照らせば、当裁判所の前記判断を左右するものではない。
次に、➁については、そもそも、マスクを着用できないことに健康上の理由がある場合を除き、マスク着用に応じない患者に対する診療を一律許否するこという本件病院の方針は、前記(2)説示のとおり合理性を有するものと認められる上、医療機関が原告の意見を実現する場ではないことは晃かであり、原告がマスクを着用しなかったことに健康上の理由はないというべきである。
したがって、原告の上記主張はいずれも採用できない。
(4) 小括
以上によれば、被告JR東日本は、原告に対し、本件診療拒否について不法行為責任を負わない。
3 争点(2)(本件治療拒否の債務不履行該当性)について
前記2のとおり、本件治療拒否当時に原告に緊急に治療を行う必要があったとまではは認められず、本件病院における来訪者のマスク着用についての方針に合理性があり、原告のマスク着用拒否の理由に照らしても診療拒否が不合理とはいえないことに照らせば、原告と被告JR東日本との間に診療契約が締結されていたとしても、本件治療拒否は原告に対する債務不履行には当たらないことは明らかである。
よって、被告JR東日本は、原告に対し、債務不履行責任を負わない。
4 争点(3)(被告国の規制権限不行使による国賠法上の違法性)について
原告は、被告JR東日本によるマスク不着用を理由とする本件診療拒否が違法であることを前提に、被告国が規制権限を行使しなかったことは違法であるなどと主張するが、本件診療拒否が違法と認められないのは前記2説示のとおりであるからら、原告の主張はその前提を欠き、採用することができない。
よって、被告国は、原告にたいし、国賠法一条1項上の責任を負わない。
第4 結論
以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文の通り判決する。
東京地方裁判所民事第5部
裁判長裁判官 小池あゆみ
裁判官 長 咲良
裁判官 下山久美子(転補)
桜井康統弁護士 登録番号49825 第二東京
桜井総合法律事務所 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-6-404
日弁連弁護士検索には電話番号 FAXの記載なし