
弁護士が裁判期日を伝えず、依頼者に高額な賠償支払いの判決が下された。弁護士が賠償を行わないなら懲戒請求を申し立てる。すると弁護士は脅迫されたと刑事告訴を行った。弁護士に対し損害賠償請求訴訟を提起、(弁護士は反訴)
裁判所の判断は・・
令和7年8月25日判決言渡 令和6年(ワ)第100号 損害賠償等請求本訴事件
令和7年8月25日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 令和6年(ワ)第100号 損害賠償等請求本訴事件
令和6年(ワ)第23435号 損害賠償等請求反訴事件 口頭弁論終結の日 令和7年7月14日
原告(反訴被告) (以下「原告A」という。)
原告 一般社団法人 Children ‘s Rights Watch Japan
(以下「原告社団」といい、原告Aと併せて 「原告ら」という。) 上記代表者代表理事
上記両名訴訟代理人弁護士 太田真也
被告(反訴原告) 杉山程彦(以下「被告」という。) 神奈川県横須賀市若松町3-4山田ビル プレミア法律事務所
1 被告は、原告Aに対し、36万1000円及びこれに対する令和6年2月1日から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。
2 原告永里のその余の本訴請求並びに原告社団の本訴請求及び被告の反訴請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、 本訴反訴を通じて、これを3分し、その1を原告らの負担 とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 本訴
(1) 被告は、原告Aに対し、 440万円及びこれに対する訴状送達日の翌日 (令和6年2月1日) から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。
(2)被告は、原告社団に対し、100万円及びこれに対する訴状送達日の翌日 (令和6年2月1日) から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。
反訴
原告Aは、被告に対し、 118万9000円及びうち3万9000円に対する令和5年 3月15日から、うち15万円に対する令和5年4月19日から、うち100万円に対する令和5年5月18日から、それぞれ支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
本件本訴は、 1原告Aが、 弁護士である被告に訴訟代理人として事件の処理を委任したところ、 被告が委任事務処理を誤ったため敗訴判決を受けた旨、 その後、委任事務処理の不履行について示談交渉をしていたところ、 被告が原告永里から脅迫されたという内容虚偽の告訴をした旨主張して、委任契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権として240万円及び不法行為に基づく損害賠償請求権として200万円 (合計 440万円) 並びにこれらに対する訴状送達日の翌日である令和6年2月1日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金の支払いを求め (本訴請求(1))
2 原告社団が、 弁護士である被告に訴訟代理人として事件の処理を委任したところ、 被告が委任事務処理を怠ったと主張して、委任契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権として100万円及びこれに対する訴状送達日の翌日である令和6年2月1日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金の支払いを求め(本訴請求(2))る事案である。
本件反訴は、被告が、
1 自らが訴訟代理人としての委任事務処理を誤ったため、訴外B弁護士(以下「B弁護士」という。)に、原告Aとの示談交渉を委任したところ、 原告Aが契約締結に至る信頼関係を反故にしたとして、契約締結上の過失に基づき15万円及びこれに対する令和5年4月19日から、
2その後、被告は、原告Aから、懲戒請求をちらつかせながら明らかに過大な金額を請求されて脅迫されたなどと主張して、 不法行為に基づき100万円及びこれに対する不法行為後である令和5年5月18日から それぞれ支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、
3原告Aが控訴提起する際の印紙代及び郵券代を立て替え払いしたとして、不当利得返還請求権に基づき3万9000円(1~3の総合計11 8万9000円) 及びこれに対する利得後である令和5年3月15日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による法定利息の支払いを求める事案である。
1 前提事実(証拠を摘示していない事実は争いがない)
(1) 原告Aは原告社団の代表者であり、被告は弁護士である。
(2)ア 原告Aは、 令和4年11月23日、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟(請求額330万円) を、東京地方裁判所立川支部に提起された(同裁判所令和4年(ワ)第3134号。以下「立川訴訟」という。)。 立川訴訟の概要は、原告Aがインターネットに投稿した記事によって名誉権を侵害したというものであった。(甲7) 原告社団も、その頃、不法行為に基づく損害賠償等請求訴訟(請求額330万円)を、東京地方裁判所に提起された(同裁判所令和4年(ワ)第31471号。以下「東京訴訟」という。)。東京訴訟の概要は、同社団の運営するサイトに掲載された記事によって名誉権またはプライバシー権を侵害したというものであった。(甲1 乙13)
(3) 原告と被告は、令和5年2月19日、 立川訴訟と東京訴訟につき、被告が原告らの訴訟代理人として事件を処理するとの内容の委任契約を締結した(甲1、弁論の全趣旨)
(4)上記委任契約締結時、立川訴訟及び東京訴訟は、いずれも第1回期日が終了しており、原告らが作成、提出した答弁書が陳述したものとみなされていた。同答弁書には、請求棄却を求める旨の答弁及び請求原因に対する認否として迫って主張する旨記載されていた。 原告Aは、被告に、両事件とも上記内容の答弁書を提出済みである旨伝 えた上で、立川訴訟の次回期日の方針を尋ねた。これに対し、被告は、第1回期日が終了していないと誤解し、原告Aに対し、そのまま期日には出席しないよう指示した。
そうしたところ、 令和5年3月1日に開かれた立川訴訟の第2回口頭弁論期日で弁論が終結された。 そして、同月10日に開かれた第3回口頭弁論期日において、立川訴訟における原告の請求を全部認容する内容の判決(調書判決)が言い渡された。 (甲1、5~7、甲12の1~5、 甲16)
(5) 原告Aは、令和5年3月26日、被告を立川訴訟の訴訟代理人から解任し、原告社団も、同日、被告を東京訴訟の訴訟代理人から解任した (甲16)。
(6) 原告Aは、同年5月17日、被告に対し、被告の委任事務処理の不履行について、解決金 (330万円又は立川訴訟の確定した敗訴金額に50万円を加えた額)の支払を求める、同年5月24日までに返信がない場合懲戒請求をするという内容の合意書案が添付されたメールを送信した(以下「本件合意書案」という。)。
そうしたところ、被告は、原告Aの上記メールにより、原告Aから脅迫されたと主張して、原告Aを刑事告訴した(以下「本件告訴」という。)。 (甲8、弁論の全趣旨)
(7) 被告は、原告らに対し、令和7年6月16日の本件口頭弁論期日において、反訴に係る請求権をもって、 原告らの本訴請求債権 (債務不履行に基づく損害賠償請求権)とを対当額において相殺するとの意思表示をした(顕著な事実)。
争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 債務不履行に基づく損害賠償請求権の成否及び損害額 (争点 1、本訴関係)
(原告らの主張)
ア 原告A関係
前提事実記載のとおり、被告は、原告Aに誤った指示を出し、その結果、原告Aは、 立川訴訟において330万円の支払を命じる敗訴判決を出されるまでに至った。 これが、委任契約の債務不履行に当たることは明らかである。
原告Aは、立川訴訟につき、控訴審において300万円の解決金支払義務を負う旨、そのうちの40万円を支払った場合は、その余の解決金支払義務が免除される旨の和解をしたが、 原告Aが支払を余儀なくされた40万円は損害に当たる。 また、 第一審での審理の機会を喪失したことで被った精神的苦痛に対する慰謝料は200万円とするのが相当である(合計240万円)。
亻 原告社団関係
被告は、東京訴訟について、何らの事件処理も行わずに、 委任事務処理を終了することとなった。 被告は、原告社団に対し、委任契約の債務不履行に基づく損害賠償請求として100万円の支払義務を負うというべきである。
(被告の主張)
ア 原告A関係
立川訴訟の令和5年3月1日の期日が2回目であることを確かめなかったことに過失があることは争わない。 しかし、損害額については強く争う。 また、 原告Aは、委任契約を締結した際、 第1回期日がすでに終了していることの説明を怠っていることから、過失相殺がなされるべきである。
イ 原告社団関係
原告社団は、東京訴訟につき、被告との相談後の最初の期日前に被告を解任し、以後通常通り訴訟追行しているから、被告の行為を原因とする損害は発生していない。
(2)本件告訴の不法行為該当性及び損害額(争点2、本訴関係)
(原告Aの主張)
原告Aが送付した本件合意書案は合理的で妥当なものであって、懲戒請求も被害者としての正当な権利行使であるから、これが脅迫行為に当たるはずがない。 本件告訴は、原告Aに刑事処分を受けさせる目的で虚偽の申告を行ったものであり、不法行為に該当する。 原告Aは、刑事処分を受けるかもしれないという不安感に苛まれることとなったが、その精神的苦痛を慰謝するに は200万円を要するというべきである。
(被告の主張)
争う。本件合意書案は、懲戒請求をちらつかせながら明らかに過大な金額を請求するものであり、 脅迫ないし恐喝行為に当たる。 したがって、本件告訴は正当なものであり、不法行為に該当しない。
(3) 契約締結上の過失に基づく損害賠償請求権の成否及び損害額(争点3)、反訴関係)
(被告の主張)
被告は、冷静に原告Aとの和解条件の確認をしてもらうためにB弁護士に委任したが、原告Aは不当な請求を行い、被告との契約締結に至る恬頼関係を反故にしたから、契約締結上の過失に基づく損害賠償請求が認められる。そして、無駄となったB弁護士に支払った15万円が相当因果関係を有する損害である。
(原告Aの主張)
争う。
(4) 原告Aによる不法行為の成否及び損害額 (争点 4、反訴関係)
(被告の主張)
上記(2)で主張したとおり、本件合意書案は、脅迫ないし恐喝行為に当たるもので不法行為に該当する。 被告が受けた精神的損害は100万円を下らない
第3 (原告Aの主張)
争う。上記(2)で主張したとおり、本件合意書案が脅迫に当たるはずがない。
(5) 不当利得の成否等(争点5、反訴関係)
(被告の主張)
被告は、令和5年3月14日、立川訴訟に関する控訴提起の手続をしたが、その際、裁判所に納付する印紙代3万3000円と郵券代6000円を立て替えた。これは、 本来原告Aが負担すべきものである。
(原告Aの主張)
被告が立て替え払いしたことは不知。 もっとも、原告らが 同金員を裁判所に納付していないことは間違いない。 なお、被告の過失によって控訴審が行われることとなったのであるから、 これを被告が負担するのは当然である。
当裁判所の判断
認定事実
前提事実に加え、以下で指摘する証拠 (枝番号の記載は省略する。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
(1)立川訴訟の判決に至る経緯
ア 原告Aは、令和5年2月15日 twitter (現、 X) を通じて、被告に、立川訴訟及び東京訴訟について、 代理人に就任することを依頼した。 原告Aと被告は、同月19日、居酒屋で飲酒しながら協議し、 被告が原告らの訴訟代理人として事件を処理するとの内容の委任契約を口頭で締結した。 協議の際、原告Aは、 被告に、 両事件ともいわゆる3行答弁を記載した答弁書を提出済みである旨伝えた上で、同年3月1日に行われる立川訴次回期日の方針を尋ねた。
イこれに対し、被告は、第1回口頭弁論期日が終了していないと誤解し、原告Aに対し、そのまま期日には出席しないよう指示した。 (甲1、1 2、 16)
原告Aは、同年2月22日、被告に対し、立川訴訟の次回3月1日の期日について、2月19日の会合のとおり、意図的に書面を提出しないでよいかという内容のメールを送ったが、被告から回答はなかった (甲6、16).
ウ 同年3月1日、立川訴訟の第2回口頭弁論期日が開かれたが、原告Aが第1回口頭弁論期日に続けて欠席し、具体的な認否等も行わなかったことから弁論終結となり、 判決言い渡し期日として、同月10日が指定された(甲7)。
エ 原告らは、同月7日、被告に、着手金合計50万円 (立川訴訟、東京訴訟いずれも25万円ずつ)を振り込んで支払った (甲4)。
オ 原告Aは、同月9日、被告に対し、 東京訴訟の次回3月16日の期日についても、立川訴訟と同様にスルーしてよいか尋ねる内容のメールを送ったが、被告から回答はなかった(甲13)。
力 同月10日、立川訴訟の第3回口頭弁論期日が開かれ、立川訴訟における原告の請求を全部認容し、 原告Aに対し、330万円及び遅延損害金 の支払を命じる内容の判決が言い渡された。また、同判決においては仮執行宣言も付されていた。(甲7)
(2)被告解任までの経緯
ア 同月14日、立川訴訟の判決正本が、原告Aに送達された。原告Aが、被告に連絡したところ、被告は、先入観と思い込みでミスをしてしまった、すぐに控訴の手続きを採る旨伝えた(甲12)。
被告は、同日、東京高等裁判所宛の控訴状を東京地方裁判所立川支部に 提出した。その際、印紙代3万3000円と郵券代 6000円を原告Aに代わって収めた (乙1、2、 弁論の全趣旨)。
イ 原告Aは、令和5年3月26日、 被告を立川訴訟の訴訟代理人から解任し、原告社団も、同日、被告を東京訴訟の訴訟代理人から解任した(甲 16).
(3)解任後の交渉経緯
ア 同月26日頃、 原告Aと被告の共通の友人であるC(以下「C」という。)が間に入る形となり、原告Aから意見を聞いた。
イ 原告Aは、 Cに対し、 330万円の実損が出た場合はその金額を払ってほしい、 弁護士保険を申請してほしいなどと要望を伝えた。(乙3~ 6)
同月28日頃、 被告は、 原告Aに、 (概要)
1合意成立後、合計50万円の着手金を速やかに返還する、
2 立川訴訟の敗訴金額である330万円につき、被告の加入する弁護士賠償保険を申請し、 保険金受領後速やかに支払う、
3保険金の保障が認められなかった場合は、被告はこの支払いをする必要はない、
4原告Aは、被告に対する弁護士懲戒請求をしないとの内容の合意書案を送付した(乙7)。
また、その頃、被告は、原告Aとの示談交渉につき、B弁護士に委任した(弁論の全趣旨)。
ウ 原告Aは、同月29日、 被告に対し、( 概要)
1 裁判所へ同年4月3日 を期限に、代理人辞任届を提出すること、
2行わない場合、 原告Aから裁判所に解任通知を送り、懲戒請求にてその旨を指摘する、
3 4月3日を期限に着手金を返還すること、
4 返還がない場合、懲戒請求にてその旨を
5指摘するとの内容のメールを送信した(乙8)。 その後も着手金の返還がなかったことから、原告Aは、同年4月14日、被告及びB弁護士に対し、( 概要) 1 着手金は、交渉材料とされるべきものではなく、当然に返還されるものである旨
2速やかに着手金を返還するよう求める旨記載されたメールを送信した(乙9)。
オ被告は、同年4月18日、畑中弁護士に弁護士報酬として15万円を支払った(乙10)。
カ被告は、B弁護士の勧めもあり、同月24日、 着手金合計50万円を原告A指定の口座に送金した (争いがない)。
キその頃、B弁護士が代理人を辞任し、同月24日、 その旨を原告Aに通知した(甲8、弁論の全趣旨)。
ク 原告Aは、同年5月17日、 被告に対し、 メールで本件合意書案を送付した。その内容は、
1 立川訴訟につき、被告が、以下の2案のうちのいずれかを選択して、その責任を負う旨、
2具体的にはA案として、解決金 330万円を1週間以内に支払う、 B案として、 立川訴訟の最終的な敗訴金額が確定した場合、被告は原告永里に、 最終的な敗訴金額を敗訴確定後2週間以内に支払うとともに、それに加えて、勝訴敗訴にかかわらず、被告は原告Aに解決金50万円を支払う、
3被告が、 A案もしくはB案を直ちに遵守・履行しない場合、 原告Aは速やかに被告を懲戒請求にかけるというものであった。(甲8)
ケその後、被告は、原告Aの上記メールにより、原告Aから脅迫されたと主張して、原告Aを刑事告訴した(本件告訴)。
また、原告Aも、 令和5年12月25日、神奈川県弁護士会に対し、被告の懲戒を請求した(甲10、 14)。
(4)立川訴訟及び東京訴訟の結果
ア 被告を解任した後、原告永里は、本件における原告ら代理人との間で、立川訴訟について訴訟追行に関する委任契約を締結したた
令和6年5月24日、 立川訴訟につき、 東京高等裁判所において、和解が成立した。その概要は、
1原告Aが、 インターネット上に投稿した記事を削除する、
2原告Aは300万円の解決金支払義務を負う、
3 解決金のうちの40万円を支払った場合は、その余の解決金の支払義務が免除されるとの内容であった。(甲9)
イ 被告を解任した後、 原告社団は、本件における原告ら代理人との間で、東京訴訟について訴訟追行に関する委任契約を締結した。 令和6年5月23日、東京訴訟につき、 東京地方裁判所は、概要、原告社団に対し、
1インターネット上の記事の削除並びに
2 損害賠償金180万円及び遅延損害金の支払を命じる内容の判決を言い渡した(乙13)。
原告社団は、同判決について控訴を提起し、 令和7年6月27日、東京高等裁判所において、原告社団が30万円を支払うという内容の和解が成立した (甲20)。
債務不履行に基づく損害賠償請求権の成否及び損害額 (争点 1)について
(1)原告A関係
ア 係属中の訴訟事件を弁護士が受任するにあたって、 第1回期日がすでに終了しているか確認することは、 弁護士にとって当然なすべき基本的事項であるから、被告がその確認を怠ったことが過失に当たることは明らかであって、この点については被告も争わない。 したがって、被告は、 原告Aに対し、委任契約の債務不履行に基づく損害を賠償する責任を負う。 上記債務不履行の結果、原告Aは、立川訴訟の第一審において、330万円もの支払を命じる判決を下され、 しかも仮執行宣言まで付されていたというのであって、原告Aは、少なからぬ精神的苦痛を受けたと言って差し支えない。 そして、諸般の事情を総合すると、原告永里の精神的苦 痛を慰謝するには30万円を要するものと認められる。
他方、原告Aは、控訴審での和解の結果、支払いを余儀なくされた40万円も損害に当たる旨主張するが、 原告Aが通常通り応訴したとしても、同程度の損害の賠償を認められた可能性は否定できず、被告の債務不履行との相当因果関係は認められないというべきである。
ウ 被告は、委任契約を締結した際、第1回期日がすでに終了していることの説明を原告永里が怠ったことから、過失相殺がなされるべきである旨主張する。
この点については、事実関係に争いがあるが、前記のとおり、 係属中の訴訟事件を弁護士が受任するにあたって、 第1回期日がすでに終了してい るか確認することは、弁護士にとって当然なすべき基本的事項であって、その確認も容易である上、原告Aは法律の専門家ではなく、初回期日に続けて第2回期日も欠席し、具体的な認否反論を行わないことの意味を必ずしも理解しているとは言えないこと(甲12参照) も勘案すると、仮に被告が主張するとおりの事実関係であったとしても、 過失相殺は認められないというべきである。
また、被告は、未だ第1回期日が経過していないと被告が誤解していたことを原告永里が認識していたにもかかわらず、 原告Aはその誤解を解くための行動を採らなかったなどと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
さらに、被告は、 原告Aには、自ら第1回期日に答弁書を提出し、答弁書を擬制陳述したにもかかわらず、第2回期日に出席しなかった過失がある旨主張するが、前記のとおり、原告Aが第2回期日に出席しなかったのは、法律の専門家である被告の指示に従ったことに照らすと、これを理由とする過失相殺は認められない。
なお、被告は、原告Aに過失があることに加え、原告Aが本件合意書案を送付して被告を脅迫したことに照らすと、原告Aが債務不履行に基づく損害賠償請求をすることは信義則に反するなどと主張するが、前記のとおり原告永里に過失があるとは認められない上、後述のとおり、原告 Aが被告を脅迫したとは言えないから、上記被告の主張は採用することができない。
(2)原告社団関係
原告社団は、東京訴訟につき、被告との相談後の最初の期日前に被告を解任し、以後通常通り訴訟追行している上、 着手金も全額返還されているのであるから、被告の行為によってそれ以上の損害が発生したとは認められない。
原告社団は、東京訴訟の新たな代理人選任のために、多大な苦労と労力が必要となった、着手金の原資は第三者からの寄付であり、 寄付者からの批判の説明と対応に追われたなどと主張するが、仮に原告社団が主張するような事実関係が認められたとしても、直ちに被告の行為との相当因果関係を有する損害とは言い難い。原告社団の主張は採用することができない。
3 本件告訴の不法行為該当性及び損害額(争点2) 並びに原告Aによる不法行為の成否及び損害額 (争点4)について
(1) 人に刑事処分を受けさせる目的でなされた虚偽告訴が、被告訴人に対する不法行為となることは明らかである (刑法172条参照)。 また、虚偽告訴とまでは言えない場合でも、告訴をしようとする者は、事実関係を十分調査し、証拠を検討して犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を確認した上で告訴すべき注意義務を負うから、これを怠った過失がある場合、 告訴人は、被告訴人に対し不法行為上の損害賠償責任を負うものと解される。
(2)被告は、本件合意書案は、懲戒請求をちらつかせながら明らかに過大な金額を請求するものであり、脅迫ないし恐喝行為に当たるから、本件告訴は正当なものである旨主張する。
そこで検討するに、前記1 (3) で認定したとおり、原告Aは、令和5年3月26日、Cに対し、 弁護士保険の申請及び実損の賠償という要望を伝えたのに対し(同ア)、被告は、同月28日頃、弁護士保険の保険金受領後、これを速やかに支払うが、 保険が認められなかった場合は、 着手金の返還以外の金銭を支払う必要がないとの内容の合意書案を送付し、 原告Aの求める実損の賠償に必ずしも答えなかったこと(同イ)、その後、原告Aは、 被告やB弁護士に、 着手金の返金を求め(同ウ、エ)、その後、 着手金の返還がなされ(同カ)、B弁護士が辞任したため(同キ)、被告に対し、本件合意書案を送付した(同ク)ものと認められる。
そして、本件合意書案の内容は、要するに、 立川訴訟の第一審において支払いを命じられた330万円か、最終的な敗訴金額に50万円を加算した額の支払を求めるというものであり、 交渉当初に原告Aが、 Cに告げた実損の賠償という内容に概ね沿うものであって、原告Aの要望は基本的には 一貫しているといえる。 また、原告Aは、被告の誤った指示によって、 敗訴判決を下されたのであるから、判決で支払を命じられた330万円全額の支払を求めることは、法律的に直ちに認められるかはさておき、十分理解可能で、一定の合理性を有すると言える。 そうすると、 本件合意書案の内容は明らかに過大な金額の請求とは評価できない。
また、弁護士に対する懲戒請求は、 弁護士法58条で規定された正当な手続である上、原告Aの態様や送付した文言も殊更に威圧的なものではなく、被告を畏怖させることを主要な目的とするなど、不当な目的や意図をうかがわせるものではない。
以上によると、本件合意書案は、脅迫ないし恐喝行為に当たるとは言えず、原告Aが本件合意書案を送付したことが不法行為に当たるとは認められない。
(3)他方、前記のとおり、本件合意書案の内容は、十分理解可能な合理性を有する内容であり、 弁護士に対する懲戒請求も弁護士法58条で規定された正当な手続であること等からすると、弁護士である被告は、本件合意書案を送付することが脅迫ないし恐喝行為に該当する余地がないことを容易に認識し得たと認められる。
そうすると、被告は、犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を 確認した上で告訴すべき注意義務を怠ったものと認められるから、原告Aに対して不法行為に基づく損害を賠償する責任を負う。
そして、本件告訴によって、 原告Aは、 捜査機関の捜査に応じることを余儀なくされ、刑事処分を受けるかもしれないという不安感に苛まれたと認められ、このような原告Aの精神的苦痛を慰謝するには10万円を要する というべきである (原告永里に生じた損害額合計40万円)。
4 契約締結上の過失に基づく損害賠償請求権の成否及び損害額(争点3)について
被告は、原告Aが不当な請求を行い、被告の契約締結に至る信頼関係を反故にしたから、契約締結上の過失に基づく損害賠償請求が認められる旨主張する。 しかし、原告Aの請求が不当な請求とは言えないのは前記のとおりである。 また、前記認定したとおり、原告AがCを通じて実損の賠償という要望を伝えたのに対し、被告は、弁護士保険が認められなかった場合は、着手金の返還以外の金銭を支払う必要がないとの内容の合意書案を送付したことが認められる。同合意書案は、原告Aの求める実損の賠償に必ずしも答える内容ではないばかりか、 弁護士保険が認められない場合、被告が一切損害を賠償する必要がないという、被告にとって虫のいい内容であって、本件において、当事者間の信頼関係が破壊されたのは、むしろ、上記のような被告の対応にあると認められる。
以上によると、原告永里が契約締結上の過失に基づく損害賠償責任を負うものとは認められない。 被告の上記主張は採用することができない。 のとは認められない。被告の上記主張は採用する
5 不当利得の成否等 (争点65) について
前記1(2)アのとおり、被告は、 令和5年3月14日、 立川訴訟について控訴を提起したが、 その際、 裁判所に納付する印紙代3万3000円と郵券代6000円を立て替えたことが認められる。 そして、これは、原告Aが負担すべきものであるから、被告の不当利得返還請求は認められる。
原告Aは、被告の過失によって控訴審が行われることとなったのであるから、当然これを被告が負担すべき旨主張するが、 被告に過失があったとしても、これは本来的には控訴人である原告永里が負担すべきものなのであるから、原告Aの上記主張は採用することができない。
もっとも、本件証拠上、被告が原告Aにこれを立替払いした旨を伝えたことを裏付ける証拠は不見当であり、原告Aが当時悪意の受益者であったとは認められない。原告永里は、遅くとも反訴状送達日(令和6年10月4日)にかかる事実について悪意となったと認められるから、 法定利息の起算日は同日からとするのが相当である。
6 小括
前提事実記載のとおり、被告は、原告Aに対し、 令和7年6月16日の本件口頭弁論期日において、反訴に係る請求権をもって、 原告Aの本訴請求債権(債務不履行に基づく損害賠償請求権)とを対当額において相殺するとの意思表示をした。
よって、原告Aは、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求として26万1000円(30万円~3万9000円。不法行為に基づく損害賠償請 求を併せた総合計36万1000円) の支払を求めることができるから、その限度で請求を認容すべきこととなる。
他方、原告社団及び被告の請求は理由がないから、 棄却すべきこととなる。
第4 結論
よって、 主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事25部 裁判官 坂本 智 令和7年8月25日
