弁護士2人、依頼に反して訴訟続け報酬1億円超

 依頼者の意思に反して訴訟を継続し、1億2866万円余りの報酬を得たなどとして、金沢弁護士会は22日、同会所属の敦賀彰一弁護士(63)を業務停止2か月、 侭田明佳 ( ままだあきよし ) 弁護士(53)を戒告の懲戒処分にした。

 同会の発表によると、2人は2001年に経営破綻した旧石川銀行に対し、出資者らが02~03年にかけて損害賠償を求めた訴訟を担当。原告男性の1人から05年に訴えの取り下げを求められたにもかかわらず訴訟を継続したとしている。
2013年3月22日14時07分 読売新聞)
この新聞だけの情報ではなんのことかさっぱりわかりません
旧石川銀行事件で私の知ることは以下の内容です
石川銀行は元は加州相互銀行でした。加賀や能登の出身者に融資をするイケイケの銀行でした。株の仕手戦に融資をしたり他の銀行が融資を渋る業種にも積極的に金を貸していました。大阪にも支店がありました。昭和30年代ころから石川では食えない人が大阪に多く出てきました。働き者で人が嫌がる仕事もやり大阪万博の1970年代頃は豆腐屋になる人が多く出てきました。朝早い仕事ですが当時は市場ブームで市場には絶対に必要な豆腐屋ですから次々と石川県から都会に出てきました。人件費を安くあげるため石川の田舎で中学を卒業したら豆腐屋に丁稚修行に入り、どこかで新しく市場が開店をしたら店を広げていくという方式でどんどん石川県の出身者が出てきました。豆腐屋の次は風呂屋をします。加賀温泉とか能登温泉とかいう銭湯が大阪に多いのは石川出身だからです。その次に業種を開拓したのがホテル業です。いわゆるラブホテル業です。この業種には大手の銀行や信用金庫は融資しません。
融資したのは石川銀行だけでした。石川出身者の商売の考え方は全額借入です
金利だけ返済をします。それでも土地が右肩上がりの場合はうまく行っていました。
売却すれば土地の値上がり分が手に入るからです。ホテルの借入は20億円くらいに
なるものもありました。2000年頃石川銀行は株の仕手戦の融資先の焦げ付きでどうにもならない状態になりました。関西のホテル業界は返済に困ることはなかったのですが2000年の12月30日に石川銀行の担当者がホテルの融資先をまわりました。
普通預金の全額を石川銀行の株券と換えたというのです。増資ということです。
増資に応じなければ今後融資はしないということで無理やり普通預金は株券に換えられました。事後承諾です。
そして正月休みが明けて石川銀行は倒産します。普通預金から無理やりかわった株券が紙くずになったのです。関西でも石川県でも同じような被害が出たと思います。
今回の裁判もこの方らが起こした裁判だと思います
倒産した石川銀行は北陸に本店がある銀行が引き受けました。
気の毒なのはホテルの経営者。全額融資ですから新しい銀行になって担保物件の査定をします。バブル破壊後担保評価は半分以下になっていました。
20億円の物件の評価が5億円程度になっていて評価が下がった15億円分は現金で持ってこいというのです。石川銀行に騙されて預金はゼロになっている上に評価が下がった分まで銀行に持って行くことはできません。評価下落分の支払いが出来ない物件は整理回収機構に行きました。競売になり他人の手に行くのです。また石川県出身者は同郷の結束が固く融資の連帯保証人になる場合が多く1件が倒産するとドミノのように倒産していったのです。借入の返済は続けられたのですが石川銀行が倒産したから担保割れになったのです。バブルが生んだ悲劇ですが銀行のやった事は犯罪ではなかったのか!
昭和30年代東京オリンピックの頃に一旗揚げようと石川県から都会に出てきます
豆腐屋で一生懸命働いて風呂屋になりホテルを経営します。
朝から深夜まで働き続けます。突然銀行が来て今まで蓄えた預金を株券に換えた
と言われ、それでも次に融資してくれると思いきや銀行は倒産します。
そして整理回収機構に移され競売になります。一代で築いた資産も全部無くなりました。自殺した人。精神的におかしくなった人が出ました。
石川銀行の増資とはきれいな言葉ですが実際は取り込み詐欺だったのではないか
北国新聞
 金沢弁護士会によると、2人は2005年ごろ、訴えの取り下げを要請した会社経営者に対し、取り下げると多額の報酬が発生するとの誤った情報を伝えて取り下げを断念させ、約1億3千万円の報酬金を受け取った。
弁護士さん、そんなやり方ないわ
銀行に騙され弁護士に騙され・・・・・・
敦賀法律事務所
 侭田明佳 ( ままだあきよし ) 弁護士