弁護士の懲戒処分を公開しています
「日弁連広報誌・自由と正義」20142月号に掲載された弁護士の
懲戒処分の要旨・滋賀弁護士会・獅山向洋弁護士の懲戒処分の要旨
 
滋賀弁護士会、1976年から2人目の懲戒処分者となりました。
関西では弁護士というよりも政治家として有名です。
 
 【獅山向洋ウイキ】から
 
 
略歴 [編集]
19643月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。
1979彦根市議会議員選挙に出馬し、初当選する。1985、彦根市長選挙に出馬したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。1993の市長選では落選した。1997の市長選にも出馬したが、再度落選した。
2003、彦根市議会議員選挙に出馬し、当選する。2005に市議を任期途中で辞職して市長選に出馬し、12年ぶりに市長に復帰する。2009の市長選では、次点の大久保貴にわずか39票差まで詰め寄られるも逃げ切る辛勝で再選する。2013の市長選で、候補者調整を巡り自由民主党が分裂、またその自民系対立候補の出自を問題視することで自身が批判を浴びたこともあり、大久保に敗れ落選した(後述)。 
名誉棄損による裁判[編集]
週刊新潮200611月9号に掲載された、獅山が「公務員の飲酒運転事故の報告義務は不利益な供述の強要禁止(自己負罪拒否特権)に違反する」との発言に対して「バカ市長」などと批判した記事について、名誉棄損として新潮社に対し名誉棄損2,200万円の慰謝料と謝罪文の掲載を求めて裁判を起こした。獅山は「私は京都大学法学部出身である。ゆえにバカではない。」と主張[1]、一審は20077月19に大津地裁にて、「表現に対して行きすぎた面はあるものの逸脱した内容ではない」として、獅山の請求を棄却した[2][3]
二審は200712月27大阪高裁で下され、「前後の文脈を考えれば、表現は全人格を否定し、いわゆるバカ扱いした記載になっている」と指摘し、名誉棄損にあたると判断して新潮社側に22万円の賠償を命じ、最高裁では双方の上告を支持せず、市長勝訴が確定した[4]
 
対立候補の出自の争点化[編集]
 
上述の2013の選挙において獅山は、自民系対立候補の有村国知が桜田門外の変における大老井伊直弼彦根藩主)の暗殺に関与した薩摩藩浪士・有村次左衛門の弟の子孫であることを指摘し、そのような人物が彦根市長選挙に出馬することは容認出来ないと主張するビラを支持団体に配布させた上、争点として訴え続けた。これに対し、有村・大久保の両候補のみならず市民の間からも批判が上がった[9][10]。騒動について獅山陣営の関係者からも「事前に知っていたら止めていた」「(騒動で)1000票減らした」と批判が上がる一方、「変な争点のおかげで(自民が民主に負けたという)政党選挙の色が薄まって良かった」と皮肉まじりの感想もあった[
 
【懲戒処分の内容】
事件の対応が不適切だったという処分の理由です。
 
     

 懲 戒 処 分 の 公 告

滋賀弁護士会がなした懲戒の処分について同会から以下のとおり通知を
受けたので、懲戒処分の公告公表に関する規定第3条第1号の規定により
公告する
1 懲戒を受けた弁護士
氏 名         獅山 向洋
登録番号       23310
事務所        滋賀県彦根市城町1
            獅山法律事務所
2 処分の内容     戒 告
3 処分の理由
被懲戒者は20024月頃、A及びBの破産申立事件を受任し遅くとも20041月に上記事件をいずれも辞任したが2010615日から201235日にかけてBの債権者である懲戒請求者から複数回にわたり電話連絡や書面により事件処理進捗状況の照会を受けながらこれに対応しなかった。
また被懲戒者は遅くとも2011516日までの間に会員名簿に記載した電話番号及びファクシミリ番号を休止して事件関係者からの連絡を困難又は不能にした。
さらに被懲戒者は2011922日から2012112日までの間に4回にわたる懲戒請求者から苦情申出を受けた所属弁護士会からその都度連絡を受けたにもかかわらず何ら対応しなかった。その後被懲戒者は2012年3月29日ようやく懲戒請求者に連絡をしたがその際に辞任通知の約束をしながら履行しなかった。
(5)被懲戒者の上記の行為は弁護士職務基本規定第5条に違反し弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
4 処分の効力を生じた年月日
 20131121
20142月1日   日本弁護士連合会