弁護士の懲戒処分を公開しています
「日弁連広報誌・自由と正義」2014年2月号に掲載された弁護士の懲戒処分の要旨・第一東京弁護士会・窪田四郎弁護士の懲戒処分の要旨
元ヤメ検弁護士の非弁提携・名義貸し事件です
統計上一番懲戒処分の多い27000番代の弁護士さんですが元ヤメ検ですので高齢の方です。
懲 戒 処 分 の 公 告
第一東京弁護士会がなした懲戒の処分について同会から以下のとおり通知を受けたので、懲戒処分の公告公表に関する規定第3条第1号の規定により公告する
1 処分を受けた弁護士
氏 名 窪田四郎
登録番号 27072
事務所 東京都港区赤坂
うさぎ法律事務所
2 処分の内容 業務停止4月
3 処分の理由
被懲戒者は2008年1月8日、2006年に死亡したA弁護士の法律事務所と同じ事務所名B法律事務所を設け2008年4月23日には被懲戒者のみ社員とし上記事務所名を使用したB弁護士法人においてA弁護士の妻でもあり弁護士資格を有しないCが代表取締役を務める株式会社Dから高額な転借料で上記執務場所を転借してD社の従業員に債務整理を行わせ、その売り上げの多くをD社に取得させるなど、法律事務所における経営、法律事務処理等の主導権をD社に与え、もってD社に自己の名義やB弁護士法人の名称を使用させた。
被懲戒者の上記の行為は弁護士法第27条及び弁護士職務基本規定第11条に違反し弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
4 処分の効力を生じた年月日
2013年12月5日
2014年2月1日 日本弁護士連合会
2013年12月6日報道
名義貸しの弁護士を懲戒処分
【読売新聞東京地域版12月6日】
弁護士資格がないのに債務整理を引き受けている法人に名義を貸していたとして第一東京弁護士会は5日同会所属で元函館地検検事正の窪田四朗弁護士(83)を業務停止4か月の懲戒処分にした。
発表によると窪田弁護士は2006年に死去した元参議院議員の弁護士の事務所を08年に引き継いだ。しかし実際は死去した弁護士の妻が経営する法人が事務所を運営し債務整理も法人の従業員が取り扱っているとして同弁護士会は、窪田弁護士の行為が弁護士法で禁じられた「無資格との提携」にあたると判断した。
(読売は四朗と書いていますが日弁連は四郎となっています)
うさぎ法律事務所
お亡くなりになった参議院議員というのはこの方
旧うさぎ法律事務所初代所長 池田治弁護士プロフィール
昭和6年:愛媛県に生まれる
中央大学法学部卒業後、衆議院法務委員長・高橋英吉氏の秘書、法政大学講師を経て昭和44年弁護士登録。
宮崎県黒木知事を収賄で告訴、安中東邦亜鉛公害訴訟、政治家や高検の検事まで問題となった東京ゼミナール事件など、政治との関係が深い。東京弁護士会常議員を経由し昭和59年に設立した法曹政治連盟会長として、投資ジャーナル事件・世田谷ケーブル火災賠償請求など、話題の事件を数多く手掛ける。平成元年に参議院議員に当選し、参議院予算・商工委員、参議院大蔵・裁判官訴追委員、北方領土沖縄特別委員、民主改革連合幹事長を歴任。平成11年11月、池田綜合法律事務所をうさぎ法律事務所に改名し、初代所長に就任。平成13年ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の代理人となる。
弱者救済・正義実現の徹底した方針で当時はなかった「うさぎ法律事務所」の名前は弁護士会で初めてのもの。
庶民の目線にと、弁護士と依頼者の垣根を取り払うために、みんなに愛される(特に若者や老人に愛される、法律事務所を目指し池田綜合法律事務所をあえて改名。さらにうさぎ法律事務所独自の「ニュースプラザうさぎ六法」を発行するも弁護士会の「弁護士の品位にかかわる」との弾圧にあい休刊となった。それでもバックナンバーの請求は相次ぎ、記憶にとどめていただけた愛読者から「もう一度」の声が高かった。
最後まで庶民の側で戦い、死ぬ当日まで弁護活動をした。いまなお、弁護士池田治の指導を承継している。
中央大学法学部卒業後、衆議院法務委員長・高橋英吉氏の秘書、法政大学講師を経て昭和44年弁護士登録。
宮崎県黒木知事を収賄で告訴、安中東邦亜鉛公害訴訟、政治家や高検の検事まで問題となった東京ゼミナール事件など、政治との関係が深い。東京弁護士会常議員を経由し昭和59年に設立した法曹政治連盟会長として、投資ジャーナル事件・世田谷ケーブル火災賠償請求など、話題の事件を数多く手掛ける。平成元年に参議院議員に当選し、参議院予算・商工委員、参議院大蔵・裁判官訴追委員、北方領土沖縄特別委員、民主改革連合幹事長を歴任。平成11年11月、池田綜合法律事務所をうさぎ法律事務所に改名し、初代所長に就任。平成13年ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の代理人となる。
弱者救済・正義実現の徹底した方針で当時はなかった「うさぎ法律事務所」の名前は弁護士会で初めてのもの。
庶民の目線にと、弁護士と依頼者の垣根を取り払うために、みんなに愛される(特に若者や老人に愛される、法律事務所を目指し池田綜合法律事務所をあえて改名。さらにうさぎ法律事務所独自の「ニュースプラザうさぎ六法」を発行するも弁護士会の「弁護士の品位にかかわる」との弾圧にあい休刊となった。それでもバックナンバーの請求は相次ぎ、記憶にとどめていただけた愛読者から「もう一度」の声が高かった。
最後まで庶民の側で戦い、死ぬ当日まで弁護活動をした。いまなお、弁護士池田治の指導を承継している。