記者のつぶやき
「第三者とは・・なに?」
昨今「舛添都知事問題」で『第三者の調査』うんぬん・・マスコミやら巷でちょくちょく耳にする。この『第三者』って、そもそもなに?そんな疑問からちょっとつぶやきを。
第三者とはそもそも、事柄における関係者(本人)以外、つまり『当事者以外の人』なる解釈が存在する。
第三者 とは・・
コトバンク
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舛添都知事の第三者
都知事の公私混同疑惑問題に関わる『第三者の厳しい目』とは、我々国民から見て『第三者』と真に受けることができるか・・至った現結果、都知事の辞職も然り、世論の認識『セコイ』から見ても、舛添都知事の『第三者』は、国民からは到底かけ離れていたものと認識できる。海外でもこの『セコイ(SEKOI)』なる表記で報道されているという。
そもそも、この『第三者』は、都知事が雇った弁護士方のお二人構成である。都議会もしくは都民が選出した『弁護士』でもない。
また『ヤメ検』であろうが、今では『依頼者』に主眼を持つ『弁護士』である。
逆に、もともと『検事』であれば、依頼人のために『検察側』が問題視できないように、事柄における回避解釈・論理を予め布石として準備することが主眼であった・・など、更に信用失墜招く要素としか成り得ない。
弁護士には弁護士法、弁護士職務基本規程など職務の執行上『依頼人の利益』に主眼をおくことは明らかである。
そもそもが『真実の追求』について弁護士は『依頼人の主観の真実』を追求するだけに留まるのが現実である。
我々が求める『真実』の解釈とは全く違う、そもそもの定義である。
弁護士は多々『真実とは神のみぞ知る真実では無い』と詭弁を使うようであるが、そもそも客観的事実について『依頼人の利益喪失』に繋がる要素は発表することはありえない。依頼人に不利な事実は弁護士業務で『日光東照宮の三猿“見ざる・聞かざる・言わざる”』に全うするものでしかない。
つまりそのような職責人物が、そもそも『ヤメ検』であろうと依頼人である『舛添都知事』に不利になるような『世間の厳しい目』などもって、事実公表を詳らかにできることは無い。
都議会側や都民が第三者として『弁護士へ調査を委任』しても同様の旨、論としては有る。弁護士に委任すること自体、「第三者の厳しい目」はそもそも無理である。雇いいれた弁護士調査では『秩父の三猿“よく見・よく聞き・よく話す”』とは到底無縁である。強いて『よく見・よく聞き・言わざる』であろう。
今回の調査、時間的要素・守秘義務等の関係から短期的調査として『第三者』として選出する人物職責等において弁護士がベターとするならば、都知事が任命した弁護士だけでは当然真相究明などできるはずもない。
裁判で例えれば、原告被告が同一人物で非公開の場で行われているに過ぎず、導き出される結果は如何様にも“当事者の都合良きお話し”である。
眠りネコでもわかりそうな『第三者の基準』ではなかろうか。
もっとも今回はこの『第三者』によって、『都知事の辞職』が『決定打』になったものであろう。そのような観点からは、この『第三者』は、大いに役に立ったのかもしれない。
しかし、『セコイ』行為、また、政治家による税金から捻出される政治資金など流用の範囲について、再発防止には何ら繋がらず、政治家達にとって『最も役に立った』ことを忘れてはならない。
民事の争いでも弁護士(代理人)は時折、このように結果において依頼人の目的に反し『活躍?』してくれる時がある。いわば『火に油を注ぐ』であろうか。
しかも新たに『火をつけても責任は皆無』なる代理人業務である。
そうそう、日光東照宮の三猿には、“四猿”なる説もあるようで。
四猿・・『しざる』。厳しい目の調査、繰り返さない対策は“しざる”。
弁護士という職責
『弁護士』という言葉は、その職責だけで『信頼がある』と思わせやすい。
他方、法曹三者「裁判官・検事・弁護士」のなかで、犯罪歴があっても就ける職責は『弁護士』だけのようである。もちろん、犯罪歴といっても更生した経緯があれば『問題無い』も、法治国家である以上、理解できる一面は当然ある。しかしその割には、裁判官・検察官には採用されない。
“自由”を翳す一面がある弁護士とはいえ、犯罪歴にもよるのではなかろうか?我々は、このような前科など知らずに委任することになる。
昔の学生運動のように、『国家権力』に立ち向かう反面、逮捕され起訴有罪であれば前科ではある。他方、殺人・強盗・強姦など個人に対して犯す凶悪とも受け取れる罪も前科で一括りである。
国民から見て、そして依頼する立場から見て、同じ土俵にある経歴だろうか
というのも、先般、このような報道があった。
「強制わいせつ」東大生に待ち受ける罰~勘違いエリートの末路 大学デビューで「女遊び」三昧 (現代ビジネス)
この記事の中に記されているが『2005年 京大アメフト部員3人によるレイプ事件』に関与した一人が『弁護士』になっているというのだ。
(以下、引用)
『「’05年に起きた京大アメフト部員3人によるレイプ事件。このとき、この3人は退学よりも重い、復学すら許されない放学処分になった。
主犯格には4年6ヵ月の実刑。他二人も有罪判決が下りました。3人とも一般企業に就職はできず、一人は司法試験を受けて弁護士になり、もう一人は公認会 計士として、なんとか社会復帰は果たしているようです。・・・(略)・・・ (全国紙司法記者)』
大学が『放学処分』とするほどの『事態経緯』である。しかも『権力に立ち向かった結果』とは根底が違う『弱者に向けた卑劣な行為結果』である。
ヤメ検も弁護士、複数人で女性を襲った“強姦”という卑劣な犯罪がわずか数年前に確定した者でも・・今や弁護士である。
反面、自分の罪状が冤罪と感じて『弁護士』を目指したなどの事情も有るかもしれない。しかしながら、被害者である一人は『19歳の女子学生』であり、そもそも未成年を泥酔させたこと事態であることからも、既に正当性など感じ得ることはできない。
『第三者の厳しい目』でその“厳しい目”が『弁護士職』ということで『信頼ある』時代では既に無いことも明らかな現実である。
(発信 札幌SS、東京TT)