最高裁判所判例集 事件番号:平成 16(あ)2199 事件名:未成年者略取被告事件 裁判年月日:平成 17 年 12 月 6 日
法廷名:最高裁裁判所第 2 小法廷
原審裁判所名:仙台高等裁判所 原審事件番号:平成(う)69 原審裁判年月日:平成 16 年 8 月 26 日
未成年者略取被告 – 青森地判平成 16 年 03 月 09 日(警察判例)
青森地方裁判所八戸支部刑事係(青森県) 事件番号:平成 14(わ)170
目 次
1 ページ
(罪となるべき事実)
被 告
(弁護人らの主張に対する判断)
本件犯行に至る経緯等について
Aは,平成13年1月ころ,被告人住居地を離れてしばらくの間、知人方や被告人 被告人は,同年9月15日,Aと口論した際,同人に対して暴力を振るったことが
Aは,同年10月17日,青森市内の婦人相談所に赴き,一時的にBとともに保Aは,平成14年1月18日,青森家庭裁判所八戸支部に対し,被告人を相手方 Aは,同年2月初めころから,八戸市内において働き始め,Bを実家に近い保 前記(5)の調停事件は,東京家庭裁判所に移送され,調停が行われたが,同 Bは,同年5月7日,青森県八戸市内のE病院において,鼠径ヘルニアに罹患 鼠径ヘルニアとは,胎生期の腹膜鞘状突起が生後閉じずに残った腹膜の袋Aは,再び保護命令を申し立て,青森地方裁判所八戸支部は,平成14年5月 Bは,同年7月30日,E病院において診察を受け,同年8月16日に鼠径ヘルBは,同年8月14日,E病院において急患として診察を受けた。問診の結果, 被告人は,同居していた女性に依頼し,同年8月28日午後4時30分ころ,同 被告人は,このころ,Bが鼠径ヘルニアに罹患していることを知った。当時のBAは,被告人らを未成年者略取罪で告訴し,被告人らは,同年9月6日,未成 被告人は,同月28日,処分保留のまま釈放された。Aは,同日,被告人側弁 その後,Aが同年10月29日にBを被告人に会わせることとなったが,Aは,
被告人は,同月29日,E病院の医師と電話で話し,同医師から,Bの病状に 被告人は,同月7日,青森地方検察庁八戸支部から,前記未成年者略取事件 Aは,被告人に対する離婚訴訟の提起を弁護士に依頼し,同弁護士は,同月 被告人は,同月21日午後1時ころ,再びBを連れ出そうと決意し,福島県郡山 被告人は,同月22日,AがBをC保育園に送り届け,出勤したことを確認し,
Dが自らの自動車の運転席外側にBを立たせ,反対側の助手席等のドアを開 被告人は,その後,どこへ行くともなく適当に走り,同日午後10時20分ころ, Aの公判供述及びその信用性について
Aは,平成13年9月1日朝,被告人と口論になり,被告人から,襟首等をつか Aは,同年10月12日ころ,青森県八戸市内に来た被告人と八戸駅前で別れ Bは,平成14年11月1日に鼠径ヘルニアの手術を受けることとなっていたが, Aは,本件犯行が行われた後,同年12月13日,青森県八戸市内のE病院と 以上の供述は,その大筋において信用できる。《理由省略》
Dの公判供述及びその信用性について
Aは,平成13年9月に八戸の実家に帰って来た際,左半身の背中,左肩, 本件犯行の際,Dは,被告人を追い掛け,本件自動車の運転席及びその後ろ 被告人の公判供述及びその信用性について
被告人のこれらの公判供述の信用性について検討する。《以下省略》 したがって,被告人の前記公判供述は,信用性が概して低いというべきであ 以上のとおり,A及びDの上記各供述にはいずれも信用性が認められるから,前 記
未成年者略取罪の構成要件該当性について
違法性阻却事由(正当行為〔刑法35条〕)の存否について
目的について
必要性,緊急性について
行為態様について
以上のとおり,《中略》したがって,被告人の本件犯行は,その目的や被告人の
《省略》
責任阻却事由の存否について
結論
(量刑の理由)
事案の概要
被告人に不利な事情
被告人に有利な事情
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【主文】懲役1年,4年間執行猶予(求刑-懲役1年),訴訟費用被告人負担
【理由】
(罪となるべき事実)
被告人は,別居中の妻Aが養育している長男B(当時2歳)を連れ去ることを企て,平成14年11月22日午後3時45分ころ,青森県八戸市ab丁目c番d号所在のC保育園 の南側歩道上において,Aの母Dに同伴していたBを抱きかかえて,同所付近に駐車中の普通乗用自動車にBを同乗させた上,同車を発進させてBを連れ去り、そのころから同 日午後10時27分ころまでBを自己の支配下に置き,もって,未成年者である同児を略取したものである。
(証拠の標目)《省略》
(弁護人らの主張に対する判断)
主体に被拐取者の親権者は含まれないと解すべきであるから,Bの親権者であった被告人は,同罪の主体であり得ず,
②被告人の行為は,Bを本来の生活の場であった被告人住居地に連れ戻そうとしたものであるから,略取に該当せず,
③同行 為は,Bの父親としての正当な親権の行使であるから,刑法35条により違法性が 阻却され,
④被告人は,本件犯行当時,自己の行為が法律上許されないものであることを認識しておらず,認識できなかったことについてやむを得ない事情がある から,違法性を意識し得る可能性を欠くものとして責任が阻却されるとして,被告人は無罪であると主張する。被告人も,判示の事実のうち,BをAが養育していること 及び被告人の行為が略取に該当することを否認し争うほか,弁護人の上記主張に沿う主張,供述をする。そこで,以下,弁護人らの上記主張を踏まえ,未成年者略 取罪の成否について検討する。
本件犯行に至る経緯等について 第2
1 まず,《証拠省略》によれば,本件犯行に至る経緯,本件犯行及びその後の状況とし て,次の事実を認定することができる。
世田谷区内の本件当時の被告人住居地で同居した。Aは,同年10月29日,長男Bを出産し,被告人とAは,同年11月12日,婚姻した。
Aは,平成13年1月ころ,被告人住居地を離れてしばらくの間知人方や被告人の実家に身を寄せたことがある。また,被告人とAは,同年4月15日,Bの親権者をAとして協議離婚したが,同月19日,再び婚姻した。
被告人は,同年9月15日,Aと口論した際,同人に対して暴力を振るったことが (3) あり,同人は,Bを連れて被告人住居地を出て,青森県八戸市内のAの実家に 身を寄せた。なお,Aが同住居地を出る前の同月14日又は15日,被告人は,A の手帳を開いたところ,Aが同手帳にそれまで被告人から受けた暴力について 記しているのを見付け,Aとの間で口論となったことがある。Aは,これ以降,被 告人と別居し,Aの両親とBとともに実家で暮らした。
Aは,同年10月17日,青森市内の婦人相談所に赴き,一時的にBとともに保護施設に入所し,同年10月24日,配偶者からの暴力の防止及び被害者の保 護に関する法律に基づく保護命令を申し立てた。青森地方裁判所八戸支部は, 同年11月9日,被告人に対し,保護命令を発した。
Aは,平成14年1月18日,青森家庭裁判所八戸支部に対し,被告人を相手方 として夫婦関係調整調停を申し立てた。
Aは,同年2月初めころから,八戸市内において働き始め,Bを実家に近い保育所に入所させ,同年4月からは,実家から車で約5分の所にあるC保育園に入園させた。同保育園への送迎について,朝はAが車でBを送り届け,帰りはAの 母Dが車で迎えに行っていた。
前記の調停事件は,東京家庭裁判所に移送され,調停が行われたが,同 年4月12日,調停が成立しないものとして終了した。
Bは,同年5月7日,青森県八戸市内のE病院において,鼠径ヘルニアに羅漢しているとの診断を受け,Aは,鼠径ヘルニアについて説明を受けた。
鼠径ヘルニアとは,胎生期の腹膜鞘状突起が生後閉じずに残った腹膜の袋 (ヘルニア嚢)の中に,腸管等が脱出する疾患である。鼠径ヘルニアに罹患する と,普段は無症状であるが,腸管等がヘルニア嚢に出入りする際,痛み,不快 感,不機嫌,ミルク摂取不良(食欲不振)等の症状が見られる。腸管が脱出したま ま戻らなくなる嵌頓ヘルニアの場合,放置すると血行障害等を起こし,早ければ 約6時間で脱出した腸管等の壊死や穿孔を来すおそれがある。したがって, ヘルニアになった場合,医師による徒手還納(陰嚢を手でつまみ,陰嚢内に脱 出した腸管を腹膜内に押し戻すこと)等の処置が必要であり,これを行わずに腸 管の壊死等を生じさせた場合には緊急手術が必要となり,これも行わずに放置すると生命の危険もある。また,壊死等が進行すると,嘔吐を繰り返し,脱水症 状になり,衰弱することもある。鼠径ヘルニアに対する根本的治療としては手術 が必要であり,小児の場合,下腹部に約3センチメートルの皮切をおいてヘルニ ア門の近くでヘルニア嚢を縛る単純高位結紮術を行う。手術をいつ実施すべきかについては,特に決められていない。
Aは,再び保護命令を申し立て,青森地方裁判所八戸支部は,平成14年5月10日,被告人に対し,保護命令を発した。 Bは,同年7月30日,E病院において診察を受け,同年8月16日に鼠径ヘル ニアの手術を行うこととされた。 Bは,同年8月14日,E病院において急患として診察を受けた。問診の結果, 同月5日から水痘(水疱瘡)に罹患しており,同月13日から鼠径ヘルニアの症状 が出て元に戻らないとのことであったが,鼠径ヘルニア自体は,重度ではなかっ た。担当医師は,徒手還納の処置を施し,手術予定日を同年9月13日に延期し た。 被告人は,同居していた女性に依頼し,同年8月28日午後4時30分ころ,同女にC保育園からBを連れ出させ,同女とともにBを連れて沖縄県へ行った。
被告人は,このころ,Bが鼠径ヘルニアに罹患していることを知った。当時のBの症状は,鼠径ヘルニアが再発するおそれが大きく,根本的治療としては手術が必要な状態であった。前記のとおり,同月14日には重度ではなく手術が延期 されたものの,嵌頓ヘルニアになる可能性もあり,そうなった場合には医師によ る徒手還納等の早急な処置が必要であり,これを行わないと腸管等に壊死等を 生じさせ,緊急手術が必要となる可能性があった。
Aは,被告人らを未成年者略取罪で告訴し,被告人らは,同年9月6日,未成 年者略取罪で逮捕された。被告人は,それまでの間,Bを自己のもとに置いてい た。
被告人は,同月28日,処分保留のまま釈放された。Aは,同日,被告人側弁護士 の事務所において,被告人とその母にBを会わせた。また,被告人からAに 対して,同年10月7日ころ,電話があり,その中で,毎日被告人がAの実家に電 話をかけ,Aが被告人に対しBの生活状況を説明したりBの声を聞かせることと なり,その後,Aの実家へ被告人から連日電話があり,当初は,AもBを電話口に出すなどしていた。
その後,Aが同年10月29日にBを被告人に会わせることとなったが,Aは,同 (17) 月22日,被告人に対し,同月29日にBを被告人に会わせない旨伝え,実際に 会わせなかった。
被告人は,同月29日,E病院の医師と電話で話し,同医師から,Bの病状に (18) ついて説明したいのでAと二人で来院するように言われた。同日,Aも同医師か ら同様に言われた。そのころ,Aが同年11月12日にBを被告人に会わせ,E病 院でBに関する医師の説明を共に受けた上で鼠径ヘルニアの手術を受けさせる こととなった。
被告人は,同月7日,青森地方検察庁八戸支部から,前記未成年者略取事件について起訴猶予処分を受けた。被告人は,新聞報道等によって,起訴猶予処 分が犯罪の成立を前提とするものであることを知り,検察官に電話で尋ねてその旨を確認した。
Aは,被告人に対する離婚訴訟の提起を弁護士に依頼し,同弁護士は,同月 (29) 11日,離婚訴訟を東京地方裁判所に提起し,同月12日,被告人側にその旨を文書で伝え,AとBに対する接触は同弁護士を介して行うよう要請した。Aは,同 月12日,Bを被告人に会わせず,E病院へも行かなかった。被告人は,単身でE病院へ赴き,医師からBの病状について説明を受け,Aと二人で話し合うように 言われた。
被告人は,同月21日午後1時ころ,再びBを連れ出そうと決意し,福島県郡市内のJR郡山駅付近のレンタカー営業所において本件自動車を借りた。被告人は,その後,本件自動車を運転して青森県八戸市方面へ向かい,同市内にお いて,Aの実家や勤務先等へ赴き,Aの行動を観察するなどした。
被告人は,同月22日,AがBをC保育園に送り届け,出勤したことを確認し,C保育園の帰りの迎えの時間に合わせ,同日午後2時30分ころから保育園の近く のアパート駐車場で待機した。その後,被告人は,DがBを迎えに来て,保育園の南側歩道上に駐車したことを確認した上,本件自動車を保育園の南東側路上に,Dが自動車を止めた位置とは反対の方角である北東を向いた状態で停止さ せた。被告人は,本件自動車のエンジンを作動させたまま,運転席ドアを完全に は閉めず,ドアノブ(ドアアウトサイドハンドル)を引かなくても素早くドアが開く状態にして本件自動車の外へ出て,保育園の隣家の生け垣付近において,保育 園正門を見ながらDとBが保育園から出てくるのを待った。やがて,DがBを同伴 して,保育園の正門から歩いて出てきたことから,被告人は,二人の後を追っ た。
Dが自らの自動車の運転席外側にBを立たせ,反対側の助手席等のドアを開 けて作業をしていた際,被告人は,Bの所へ向かって走り込み,同人の背後から 自らの両手をBの両脇に入れて同人を持ち上げ,抱きかかえて,そのまま本件 自動車の方へ全力で疾走した。Dは,「警察に。警察に。」などと叫びながら,被 告人を追い掛けた。被告人は,本件自動車の運転席ドアを開け,自らの左腕だ けでBを抱える状態にして,そのまま運転席に乗り込み,ドアをロックしてから,B を助手席に座らせた。Dは,本件自動車の運転席の外側に立ち,同車後方にあ たる保育園や駐車場の方に向かって「誰か,警察を呼んで。」などと叫びながら, 運転席のドアノブをつかんで開けようとし,更に運転席側の窓ガラスを手でたた いた。被告人は,その直後,本件自動車を発進させて走り去り,Dは,前のめり になって路上に転倒した。
被告人は,その後,どこへ行くともなく適当に走り,同日午後10時20分ころ 青森県東津軽郡e町内の,付近に民家等のない砂利敷きの林道上において,B とともに本件自動車内にいるところを警察官に発見され,同日午後10時27分こ ろ,通常逮捕された。
Aの公判供述及びその信用性について 2
(1) 以上の認定事実のほか,Aは,当公判廷において,おおむね次のとおり供述する。 びたび頬をたたく,背中を蹴る,髪を引っ張る等の暴力を受けたことがあり,Bを出産した後もしばしば同様に暴力を振るわれ,平成13年1月中旬ころ,前 記1(2)のとおり,知人の家に身を寄せたり,被告人の実家で同人の母らを交えて話合いをしたことがあった。
Aは,平成13年9月1日朝,被告人と口論になり,被告人から,襟首等をつかまれ,頭部の脇を3,4回たたかれるなどし,病院で診察を受けて診断書を書 いてもらった。また,区の相談所に行ったところ避難を勧められたが,実際に 保護を受けるには至らなかった。さらに,Aは,同月14日夜,前記1(3)のと おりのAの手帳を見た被告人から,丸めた同手帳で左半身全体や頭部をたたく暴行を受け,翌日である同月15日朝には,別の件で被告人と口論になり, 頭部等をたたく,背中を蹴る,ベルトを振り下ろしてたたく等の暴行を受けた。
そこで,Aは,同日,Bを連れて実家へ帰り,同月16日,病院で治療を受け,診断書を 書いてもらった。
Aは,同年10月12日ころ,青森県八戸市内に来た被告人と八戸駅前で別れた後,被告人からの電話の中で復縁を拒んだところ,被告人から「お前と子供 を道連れにする。」などと無理心中をほのめかされ,数日後にも同様に電話が あり,前記1(4)のとおり,一時保護を受けた上,保護命令を申し立てた。
Bは,平成14年11月1日に鼠径ヘルニアの手術を受けることとなっていたが, エ 延期された。そして,Bは,前記1(18)のとおり, 同年10月29日,E病院の 担当医師からの指示で,被告人及びAが揃って同月12日に同病院において同医 師の説明を受けた 上で手術を受けることとされたが,Aは,その後,被告人に 対する恐怖心からやはり被告人とは会いたくないと考え,また,被告 人ととも に説明を受ければ被告人も手術に立ち会うこととなり,そうなればAとしては安心 して手術を見守ったりBの看護をするこ とができないなどとして,これを断っ た。そのころ,Aは,離婚訴訟を提起することとし,前記1のとおりこれを弁護 士に依頼した。
Aは,本件犯行が行われた後,同年12月13日,青森県八戸市内のE病院と オ は別の病院において,Bに鼠径ヘルニアの手術を受けさせた。
以上の供述は,その大筋において信用できる。《理由省略》
(2) Dの公判供述及びその信用性について 3
(1) 前記1の認定事実のほか,Dは,当公判廷において,おおむね次のとおり供述す る。
ア Dは,AがBを妊娠していた際,Aから,被告人に暴力を振るわれる旨聞いていた。
Aは,平成13年9月に八戸の実家に帰って来た際,左半身の背中,左肩, 腰,太股がはれ上がっていた。
本件犯行の際,Dは,被告人を追い掛け,本件自動車の運転席及びその後ろ のドアノブに右手を掛けたが,そのままの状態で自動車が発進したため,D は,前のめりになって路上に転倒し,右腕と左膝を負傷した。
以上の供述は,その大筋において信用できる。《理由省略》
(2)被告人の公判供述及びその信用性について 4
て,おおむね次のとおり供述する。《以下省略》
被告人のこれらの公判供述の信用性について検討する。《以下省略》 (2) したがって,被告人の前記公判供述は,信用性が概して低いというべきであ (3) り,前記のとおり認められるA及びDの供述の信用性を覆すに足りるものではな い。
以上のとおり,A及びDの上記各供述にはいずれも信用性が認められるから,前記 5 1の認定事実に加え,両名の供述に沿った前記2(1)及び3(1)の各事実を認定す ることができる。
未成年者略取罪の構成要件該当性について 第3
これまで認定した事実関係によれば,被告人は,共同親権者の一人である別居中 の妻のもとで1年以上にわたりその実家で平穏に暮らしていた当時2歳の長男Bを,同児を保育園に迎えに来た義母Dの隙を見て走り込んで抱きかかえるという有形力を用いて連れ出し,そのまま全力で疾走して停車中の自動車に乗り込み,追 い掛けてきたDが制止するのを顧みることなく自動車を発進させたことにより,同児 を保護されている環境から引き離して6時間以上にわたり自動車に乗車させて自 己の事実的支配下に置いたのであるから,被告人の行為が未成年者略取罪に当 たることは明らかである。親権者は未成年者略取罪の主体になり得ると解すべきである。被告人が同罪の主体であり得ず,同人の行為が略取に該当しない旨の弁護人らの主張は,いずれも採用できない。
違法性阻却事由(正当行為〔刑法35条〕)の存否について 第4
目的について 1
被告人がBに手術を受けさせる目的で本件犯行に及んだ旨の上記公判供述《詳細省略》は,信用することができない。
《理由省略》
本件犯行に至る事実経過に照らせ ば,被告人が本件犯行に及んだ主たる目的は,BをAのもとから奪い,自己の支配 下に置くこと自体にあったと認めるのが相当であり,被告人は,本件犯行当時,Bに手術を受けさせなければならない緊急の必要性があるとは考えておらず,また, 手術を受けさせる目的も有していなかったと認められる。
必要性,緊急性について 2
前記認定のとおり,Bは,本件犯行当時,鼠径ヘルニアに罹患しており,当初,平成14年8月16日に手術を行う予定であったが,その後,何度か延期された。そし て,同年11月12日にAと被告人が同席して医師の説明を共に受けた上で手術を 受けさせる予定であったが,Aは,被告人と一緒では安心して手術を見守ることが できないなどの理由から,同日の予定を拒み,その結果,同日の手術は行われな かった。 直ちに手術を行わなければ生命の危険が生じるような緊急の事態では なかったということができる。 このことをもってBが特段劣悪な養育環境に置かれていたとはいえな い。
さらに,《中略》上記の手術の件を除けば,AによるBの養育状況に特段の問題はなかっ たと認められる。
実力で奪取して手術を受けさせなければならないほどの緊急性はなく,また,略取を正当化するような劣悪な養育環境でもなかったということができる。
行為態様について 3
前記のとおり,《中略》本件犯行における被告人の行為態様は,粗暴かつ危険なも のであったといわざるを得ない。
以上のとおり,《中略》したがって,被告人の本件犯行は,その目的や被告人の認 4 識,必要性,緊急性,行為態様のいずれの点からみても,親権者の権利行使とし て刑法35条にいう正当行為に当たるということはできない。
《省略》 5
責任阻却事由の存否について 第5
弁護人の主張等《省略》
しかしながら,前記のとおり,被告人は,本件犯行の約3か月前にも本件と同様に Bを保育園から連れ去った件について未成年者略取罪で逮捕され,本件犯行の約 2週間前に起訴猶予処分を受け,同処分が犯罪の成立を前提とするものであるこ とを新聞報道等によって知り,更に検察官に電話で尋ねてその旨を確認している。
したがって,被告人は、本件犯行当時,少なくとも,Bを連れ去ることが法律上許されな いものであることを容易に意識し得たと認められる。
したがって,被告人に違法性の意識の可能性がなかったことを前提とする弁護人の上記主張は,その前提を欠くものであり,採用できない。
結論 第6
以上のとおりであるから,弁護人らの第1の主張は,いずれも採用できず,本件犯 行について未成年者略取罪が成立する。
(法令の適用)《省略》
(量刑の理由)
事案の概要 1
本件は,被告人が,共同親権者の一人である別居中の妻のもとで暮らしていた2歳 の長男を連れ去り,6時間余り自己の支配下に置いたという未成年者略取の事案で ある。
被告人に不利な事情 2
妻のもとから長男を奪い,自己のもとに置くこと自体にあり,自己中心的な動機である。
りて本件犯行現場に赴き,長男の保育園からの帰りの迎えの時間に合わせて待機 の上,犯行直前にはエンジンを作動させたまま,ドアを完全には閉めずに容易に逃 走できる状態で同車を停車しておくなど,計画性も認められる。多大な精神的苦痛を与えており,同人は,被告人に対する厳重な処罰を求めている。 起訴猶予処分を受けたにもかかわらず,本件犯行に及んでおり,規範意識が乏しいというべきであるほか,紛争解決のための法的手続を軽視していると いわざるを得ない。
被告人に有利な事情 3
(1) 被告人が長男を略取し,自己のもとに置いていた時間は,約6時間30分にとど まる。
(2) 被告人は,長男に対し,物理的な危害を加えていない。
(3) 被告人は,長男の親権者であり,本件犯行は,見ず知らずの他人による略取の事 案とは異なる。
(4) 被告人には,平成9年に道路交通法違反の罪により罰金に処せられた前科以外には前科がない。
結論 4
以上述べたところによれば,被告人の刑事責任は重くないとはいえないものの,上記 のとおり,被告人に有利に斟酌すべき事情も認められることから,本件においては, 刑の執行を猶予することとし,主文のとおり判決する。
(求刑-懲役1年)
平成16年3月9日
青森地方裁判所八戸支部
裁判長裁判官 久留島 群 一
裁判官 増 田 啓 祐
裁判官 芹 澤 俊 明