日弁連広報誌『自由と正義』2021年7月号の特集は『ジェンダー平等と司法~法曹界における202030を考え私の
ポスト平等主義のジェンダー法理論 東京大学名誉教授 上野千鶴子
巻頭6頁にわたり。男女共同参画、共同親権に関する上野氏の見解が紹介されています。全文紹介するわけにはいきません。詳しい内容は日弁連広報課にお問い合わせください。年間購読12000円(税別)となっていますが、7月号のみの購入も可能だと思います。国立国会図書館や国立大学法学部の図書館にもあります。
賛否両論はあると思いますがぜひ特集記事を読んでいただきたいと思います。
ポスト平等主義のジェンダー法理論 東京大学名誉教授 上野千鶴子
(1) 「何のための男女共同参画か?」
(2) 「男女共同参画はゴールかツールか?」
(3) 「ファイアマンの平等主義的法理論批判」
(4) 「形式平等論の陥 」
(5) 「共同親権の罠」
(6) 「近代リベラリズム法学における中絶の権利」
(5)の「共同親権の罠」について紹介させていただきます。
(5)共同親権の罠
平等主義法理論は今日、共同親権の主張として登場している。欧米諸国の多くが共同親権を採用していることをもって、共同親権が「世界基準」であるという安易な見方もある。ハーグ条約の批准により、国境を超えた子どもの連れ去りについては、原則として、子の常居所地国へ強制的に返還されることになった。欧米諸国では共同監護の場面で、他方の監護者の同意なくして子を連れ去った場合には誘拐罪が適用されることもあり、共同親権においても、子の連れ去りに関して強いペナルティーが認められrこともある。だが共同親権を主張するほど、男たちは「親」になってきたのだろうか。自己決定権を行使できる年齢になった子どもが離婚時に父親より母親との生活を選ぶ傾向、離別後に別居親との面会交流に子どもが行きたがらないケース等を見れば、すでに離婚前から、日本の父親の多くが子どもとの関係をきちんと築いてきたとは思えない。
日本の離別時単独親権は8割以上が妻方に行っている。
だが歴史を遡ってみると1950年代までは離婚時の親権は圧倒的に夫方に行っていた。それが妻方に逆転したのが1960年代である。それならそれまで離別後の子どもは誰が育てていたのだろうか?
夫の親や再婚相手である。離婚がすなわち子どもを婚家に置いて家を出ることだった時代には、女にとってそれが離婚の抑止力となったであろうことは想像に難くない。それが1960年代に逆転したのは核家族化の進行と軌を一にしている。
夫方に子育ての手がなくなると同時に、親権は妻方に移行したのであろう。『父子家庭を生きる』の著者、春日キスヨは、父子家庭が増えない理由を次のように説明している。
父子家庭の父とは第1に妻に子どもを置いて去られた夫であり、第2に子どもを預ける親族の資源を欠いており、第3に再婚しないかできない立場におり、第4に行政の担当者が勧める児童養護施設へ子どもを預ける選択をしなかった稀有な男性たちである。と、そして父子家庭の希少性が逆にあぶり出すのは、ケアをめぐる圧倒的なジェンダー非対象性(女性にも男性にも有利にも不利にも働く)なのだ。
平等主義の法理論はもろ刃の剣である。現在、共同親権は現実を反映していないばかりか、むしろフェミニズムへのバッククラッシュとしての「男性の権利」運動の道具としてさえ使われている。共同親権や面会交流が養育費支払いと引き換えの交渉や別れた妻を脅す道具に使われていたりすることは諸外国にも例がある。日本では面会交流時に別れた夫に子どもが殺害されるという痛ましい事件も起きた。にもかかわらず国際基準の名の下に、面会交流を当然視する家庭裁判所の調停委員は多いし、法曹界でも共同親権は争点となっている。
(6) 「近代リベラリズム法学における中絶の権利」
・・・・(略)だからこそ、公道で起きる暴力は犯罪となるのに、私道域で起きる虐待やDVは非犯罪化されるのだ。この私領域に対する公権力の介入を(わずかながら)許したのが、DV防止法(配偶者からの暴力の防止と被害者の保護等に関する法律)と児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)である。公道で起きようが家庭の中で起きようが、暴力は暴力だというあたりまえのことだが、ようやく認められるようになった。だがこのDV防止法を「家族破壊法」だと非難した団体もある。彼らのいう「DV防止法被害者家族」とは妻や子に去られたDV夫を指す。
だがDV防止法が家族を破壊したのではない、それ以前にとっくにDV夫たちが家族を破壊していたのだ。
近代リベラリズム法学は自己決定する成人男性を権利主体として仮構するフイクションの上に成り立っている。そして権利・義務関係は平等な主体間の関係として構築される。だがその主体間に、圧倒的なジェンダー非対称性があるとき、平等主義の法理は破綻する。そしてこの破綻をつくろう理論装置を、近代法は持たない。
フェミニズムは「男女平等」を求めて平等主義の法理論を武器として闘ってきた、だがそれには限界があることもまたあきらかになった、いま私たちに必要なのは、差異を組み込んだ法理論なのだ、ここではそれをとりあえず「ポスト平等主義のジェンダー法理論」と呼んでおこう。それは形式主義よりはより実態に即した女性の経験を取り込んだ法理論であることは確かであろう。(以上)
上野千鶴子ウイキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90
自由と正義の特集はさらに続きます
□「司法におけるジェンダー平等ーなぜ必要か、そして何が必要かー」第二東京弁護士会 林陽子
□ 鼎談「法曹界における男女共同参画に期待するもの」から見える日弁連の明日 香川県弁護士会 佐藤倫子
□ 対談 「元最高裁判事に聞く~最高裁の男女共同参画」 元最高裁判事 櫻井龍子 元最高裁判事 東京弁護士会 山浦善樹 司会 東京弁護士会 寺町東子
弁護士自治を考える会
この時期に、日弁連がこういう特集記事を掲載した目的は日弁連は「共同親権」に反対をするという表明した。上野名誉教授には逆らえないということです。
当会にも「子ども連れ去り」、「子どもに面会できない。」、「裁判所で子どもの面会の約束がありながら会えない」という多くの当事者の方からの相談があります。DV防止法で救われた方もいたでしょうが、依頼された弁護士がDV防止法を悪用して子どもに会えなくなった当事者もいることは確かです。
上野千鶴子氏は日本のフェミニストの分野では第一人者です。弁護士にも多くの信奉者がいます。
「単独親権」の対語では無い「共同親権」
日本でも長く封建制が続き、家長制度、男優位の社会が続いてきた、「単独親権」は離婚後の子の親権はどちらかが持つというもの、長く父親、嫁ぎ先に子の親権に行き、離婚した母親は子の親権を得ることはなかった。それが、現在は離婚するときは子どもを連れて出て弁護士にDVがあったといえば親権の80%は母親に移ると上野氏。
本来「単独親権」から「共同親権」という主張は、女権団体、フェミニストの皆さんが主張すべきものではなかったのか?
しかし親権争いでほぼ母親が子の親権を得るのであれば「単独親権」の方が都合が良い。「共同親権」になればせっかく子どもを連れ去ったのに母親は子どもを元父親と面会させなければならくなる。子どもを連れ去った母親はそんな気など毛頭ないだろう。
母親が「単独親権だから子どもを連れて出た」など無いのでは
「離婚するときは子どもを連れて出て」は離婚弁護士が一番に依頼者に指示する。子どもがいなければ闘えないのだ。母親は「単独親権」だから、この先親権争いに負ければ子どもは相手側に行くそんな理由で子どもを連れて家を出るだろうか?「夫・父親からの暴力・ハラスメント」からの逃避という事案も実際あるでしょうが、救われた母親も多いでしょう。しかし中には「夫(父親)にあいそがつきた。結婚するとき幸せにすると言った、私は今幸福ではない。約束が違う。私が産んだ子どもと新しい人生を歩む」「だからもう私たちに構わないで」という理由も多いのではと推測します。
「共同親権」になれば子どもに会えるのか。
「共同親権」になれば離婚した後も子どもに会えるというのだという運動が子どもに会えない当事者の方々で活発になっているようです。果たしてそうなるでしょうか?
子どもを連れ去った理由は、単独でも共同でも無い。父親とは別に子どもと生きていきたい。あなたはあなたで生きて行って。こういう考え方を持った方に法律がどう変わろうと関係ありません。
「うちの事務所は共同親権になろうと依頼者が望めば相手に会わせません。いくらか報酬をいただければ何でもやります」
今でも先に子ども連れ去って来いという法律事務所があります、弁護士は依頼者の希望、要望を叶えるのが仕事、行列ができる法律事務所はなんでもやってくれる弁護士がいる事務所です。
「連れ去り勝ち」を先にやられたら何もできない離婚弁護士
弱い女性を救済するのが女権団体、離婚弁護士、リベラル系弁護士、「子どもを連れて家を出ろ」から始まり母親には離婚を得意とする弁護士が就任し、親権・養育費・婚費・財産分与を勝ち取ることができる。ほぼ男性(父親)は負けることになっている。
父親が二度と子どもに会えないのなら先に子どもを連れ去りをする事案が増えています。
母親側の子どもを連れ去る理由は、夫の暴力等からの緊急避難ですが、夫の理由は「妻が子どもの面倒を見れない病気」しかありません。こういう事案に女権団体、離婚弁護士は無力です。先に連れ去られたら何もできない。法的に粛々と進めていくしかない。弁護士だから当然です。法的に進めていくしかないのです。父親に子どもが連れ去られて母親が泣いていても裁判しかない現状です、子どもの連れ去り、実子誘拐をやってきて反対にやられたら何もできない。実子誘拐は止めろ!といえばブーメランのように返ってくる。普段は実子誘拐を業としているからだ、私の連れ去りは正しくてあなたの連れ去りは不法行為だ!と言ってみてごらんなさい。
上野氏の今回の投稿を理解するなら「ジェンダー平等だから父親にも子どもを連れ去る権利がある」となります。
上野氏の投稿の趣旨は連れ去られたくなければ「先に連れ去れ」ではないでしょうか?
勝者の驕りが垣間見れる投稿だと思います。(見解には個人差があります)
(予告記事)約3年前父親が(当時小1女児)を連れて家を出て遠く離れた地域で愛人と同居し監護をさせていた。裁判所は母親に子を引き渡せと判決、間接強制金は1日1万円、しかし父親は子の引き渡しの強制執行にも従わない。現在も離婚に至ってない。小学校の送り迎え、学校の行事には父親の愛人が参加、ついにあらゆる組織の協力のもと、子の連れ戻しが実行された。ところが愛人の女性はその子供は私が育てるつもりだった。暴力で実子ではないが子どもを連れ戻しされた、慰謝料として500万(弁護士費用50万円)他を支払えという裁判が提起された。原告は父親の愛人のみ、被告は母親、と当日連れ戻しの現場にいた祖母、母親と祖母は反訴した。子どもの養育権・監護権の強奪であると原告と同額の請求を求めている。現在母子は楽しく幸せに暮らしている。この裁判では連れ戻し行為が暴力を伴っていないことの立証、どうやって連れ戻しを決行したかが証拠として裁判所に提出されます。決行時、警察は動いたのか、学校の門の前で起こったがその時学校の対応はどうだったかなどが証拠として提出されます。ここまでやれば子ども連れ戻しは成功するという希少な例です。母親側の代理人はリベラルとはまったく相入れない超保守の弁護士、期日が近くなりましたらご案内します。