懲戒請求の弁護を受けた弁護士が、懲戒請求された弁護士に6000万円を請求したという判例です。
裁判年月日 平成25 8 7日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平24(ワ)35520号
事件名 弁護士費用等支払請求事件
要旨
◆原告が、弁護士として被告との間で訴訟等の事務を受任する契約を締結し、委任事務を遂行したと主張して、本件委任契約に基づき、被告に対し、弁護士費用等の支払を求めた事案において、原告が弁護士報酬として示唆した1億円は高額に過ぎることなどから、被告が原告に対する信頼をなくして解任をするのはやむを得ず、本件各委任契約は本件解任によって終了したと認定し、また、原告が本件解任までの間に委任事務処理を遂行したことによって何らかの費用償還請求権や報酬請求権が発生していたとしても、短期消滅時効により消滅していると認定して、請求を棄却した事例 
原告 
X   東京都豊島区〈以下省略〉   
被告 
Y 
主文
 1 原告の請求を棄却する。
 2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 被告は,原告に対し,6000万円及びこれに対する平成21年5月16日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,原告が,弁護士として被告との間で訴訟等の事務を受任する契約を締結し,委任事務を遂行したと主張して,上記委任契約に基づき,被告に対し,弁護士費用6000万円及びこれに対する第一東京弁護士会綱紀委員会平成18年第51号綱紀事件の決定の言渡しの日の翌日である平成21年5月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
 1 争いのない事実
  (1) 原告は,東京弁護士会所属の弁護士である。
 被告は,第一東京弁護士会所属の弁護士であり,a法律事務所を開設している。
  (2) 原告と被告は,平成18年5月頃,弁護士業務委託基本契約を締結し,その中で報酬を毎月50万円とし,必要経費は別途支払う旨合意した。
  (3)ア 被告は,平成18年,原告に対し,被告に対する懲戒請求事件(平成18年第51号綱紀事件。以下「第1懲戒事件」という。)についての第一東京弁護士会綱紀委員会における代理業務を委任した。
   イ 被告は,第1懲戒事件に係る懲戒 請求が不法行為を構成するとの理由に基づく損害賠償請求訴訟の提起及び同訴訟の訴訟代理業務を原告に対し委任した。原告は,上記委任に基づき,平成19年6月,当庁に対し,不法行為に基づく損害賠償を求める訴えを提起した(東京地方裁判所平成19年(ワ)第16391号。以下「別件民事事件」という。)。
   ウ 被告は,平成20年3月頃,原告に対し,被告に対する懲戒請求事件(平成20年第17号綱紀事件。以下「第2懲戒事件」という。以下,第1及び第2懲戒事件を合わせて「本件各懲戒事件」という。)についての第一東京弁護士会綱紀委員会における代理業務を委任した(本件各懲戒事件と別件民事事件という三つの委任契約を合わせて「本件各委任契約」という。)。
    エ 本件各委任契約の目的は,第一東京弁護士会綱紀委員会から,被告の行為が懲戒事由に該当しないとして審査不相当の議決を得ることにあった。
  (4) 被告は,平成21年1月30日,原告に対し,本件各委任契約を解除する旨の意思表示をした(以下「本件解任」という。)。
  (5) 別件民事事件の第1審裁判所は,平成20年8月26日,被告の請求を棄却する旨の判決を言い渡し,その判決理由中で,本件各懲戒事件の対象となった被告の行為について,「違法とまではいえない」と判示した。
 第一東京弁護士会綱紀委員会は,別件民事事件の裁判所の判断を受けて,被告の行為を違法と判断せず,本件各懲戒事件について,審査不相当の議決をするものと見込まれていた。
 本件解 任後,別件民事事件の控訴審は,原審の判断を維持して控訴を棄却した。第一東京弁護士会綱紀委員会は,平成21年5月15日,第1懲戒事件について,懲戒委員会に事案の審査を求めないことを相当とする旨議決し(乙2),平成24年12月14日,第2懲戒事件について,懲戒委員会に事案の審査を求めないことを相当とする旨議決した(乙7)。
  (6) 原告は,平成25年1月23日の本件口頭弁論期日において,被告に対し,本件各懲戒事件及び別件民事事件において原告の弁護士活動が奏功し,本件各委任契約の目的を達成したとの条件が成就したものとみなす旨の意思表示をした。
  (7) 被告は,平成25年3月4日の本件弁論準備期日において,原告に対し,本訴請求債権について2年の短期消滅時効を援用するとの意思表示をした。
 2 争点
  (1) 本件解任は故意に条件の成就を妨げたものか(争点1)
  (2) 本件各委任契約の相当報酬額(争点2)
  (3) 短期消滅時効の成否等(争点3)
 3 争点についての当事者の主張
  (1) 本件解任は故意に条件の成就を妨げたものか(争点1)
 (原告の主張)
 被告は,本件解任がなければ,原告の弁護活動によって本件各懲戒事件について審査不相当の決定が得られ,本件各委任契約の目的が達成されることを知りながら,原告に対する成功報酬の支払を免れるために,本件解任をした。したがって,被告は,本件解除により,故意に本件各委任契約の成功報酬を得るための条件を妨げたものである。
 (被告の 主張)
 原告の主張は否認ないし争う。
 本件各委任契約は本件解任により終了した。被告は,原告に対する信頼をなくしたために本件解任をしたのであり,原告に対する報酬支払を免れるためではなく,本件各委任契約の条件の成就を妨げたものではない。むしろ,本件解任について原告に帰責事由がある。
  (2) 本件各委任契約の相当報酬額(争点2)
 (原告の主張)
 本件各委任契約に係る弁護士報酬の金額は,以下の事情を考慮すると,被告の経営するa法律事務所の過去3年間の累積収入と将来3年間の累積収入の合計額の1割である6000万円が相当である。
   ア 本件各懲戒事件において,退会命令又は業務停止の懲戒処分が出されれば,少なくとも約3年は顧客がつかず,a法律事務所は存続不能か赤字経営となる。
   イ 本件各懲戒事件において被告の弁護をすることは,第一東京弁護士会の会務行政に異を唱えることとなるから,弁護士にとってリスクの高い仕事である。
   ウ 本件各懲戒事件では,被告を非弁提携者と認定される資料が他の類似事件では考えられないほど多量に提出され,これを覆すのは,非常に難易度が高かった。原告は,過去4回懲戒請求を受けており,その経験が本件各懲戒事件及び別件民事事件において被告に有利な結果を導くのに必要であり,原告以外の弁護士であれば,懲戒不相当の決定を取得することは不可能であった。
 (被告の主張)
 原告の主張は否認ないし争う。
   ア 原告と被告は,平成18年5月頃,原 告が受託する業務範囲は被告が原告に対し依頼する全ての事案とし,弁護士報酬は毎月50万円とし,必要経費は別途支払う旨の業務委託基本契約を締結した。
   イ 被告は原告に対し,上記業務委託基本契約に基づき,報酬として,平成18年5月から平成20年11月まで毎月50万円(平成20年1月以降は源泉税差引後の45万円)を支払った。さらに,被告は原告に対して,平成19年6月27日に20万円を,平成20年4月8日に20万円を,それぞれ本件各懲戒事件及び別件民事事件の委任に係る特別報酬として支払った。
   ウ 本件各委任契約は,いずれも上記業務委託基本契約の範囲内の代理業務に関するものであり,被告は上記業務委託基本契約に基づく報酬の支払をもって本件各委任契約に基づく報酬を支払った。
  (3) 短期消滅時効の成否等(争点3)
 (被告の主張)
 本件解任をした平成21年1月30日から2年が経過した。
 (原告の主張)
 被告の主張は否認ないし争う。
   ア 民法130条の規定の適用により,条件成就とみなされた結果として取得した権利は,不法行為に基づく損害賠償請求権を擬制化したものであるから,通常の場合の弁護士費用請求権とは異なり,民法172条1項の短期消滅時効の適用はなく,時効期間は10年であると解される。この権利は形成権であるから,権利行使時が消滅時効の起算点になる。
   イ 「権利を行使することができる時」とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけでなく ,権利の性質上その権利行使が現実に期待のできるものであることを必要と解すべきである。
 本件では,原告が弁護士会の審査不相当の決定を知り得た時点が「権利を行使することができる時」に当たる。原告は,本件各委任契約を解任された後,弁護士会の審査不相当の決定があってもその情報を取得できず,原告がこれを正確に知り得たのは本件訴訟によってであったから,いまだ消滅時効は成立していない。
   ウ 仮に消滅時効が完成したとしても,被告は原告に対し,審査不相当の決定が出た場合には,信義則上これを通知する義務があるところ,被告はこれを怠り,原告の権利行使を不可能にして消滅時効を完成させた。このような被告が消滅時効を援用することは信義則に反し,権利の濫用に当たり,許されない。
第3 当裁判所の判断
 1 事実関係
 前記「争いのない事実」に,証拠(甲1ないし3,4の2ないし9,15ないし21,29(各枝番を含む。),乙1ないし7,9ないし11)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
  (1) 原告は,東京弁護士会所属の弁護士であり,平成20年5月1日からb法律事務所を開設している。被告は,第一東京弁護士会所属の弁護士であり,a法律事務所を開設している。
  (2) 原告は,平成18年当時,自宅兼事務所で弁護士業務を行っていたものの,以前受けた懲戒処分(業務停止10か月)の影響により,ほぼ休業状態であった。原告は告に対し上記状況を相談するとともに,a法律事務所の業務について協力を申し入れた。これを受けて,被告は原告に対し,平成18年5月頃,被告の受任した一般事件,自己破産事件の復代理業務を月額50万円で委託する旨の業務委託契約を締結した。(乙11)
  (3) A弁護士は,平成18年7月31日,被告について懲戒事由があると思料するとして,弁護士法58条1項に基づき,第一東京弁護士会に対し,被告を懲戒することを求めた(第1懲戒事件。甲1の1)。被告は,平成19年6月頃,原告に対し第1懲戒事件の代理業務を委任し,同年6月,原告は被告代理人として,意見書(甲1の3)を作成した。同年6月14日,第1懲戒事件の弁明の期日が開かれ,被告は事実関係を訴訟で明らかにする旨主張し,同事件の審理は終了した。
  (4) 被告は, 平成19年6月中旬頃,原告に対し,第1懲戒事件に係る懲戒請求が不法行為に当たることを理由とする損害賠償請求の訴訟提起を委任した。原告は,同年6月,被告訴訟代理人として上記訴えを当庁に提起した(甲3の1,甲4の2。別件民事事件)。被告は,その頃,原告に対して訴状作成代として20万円を支払った。
  (5) 第一東京弁護士会は,平成20年3月18日,被告について懲戒の事由があると思料するとして,弁護士法58条2項に基づき,第一東京弁護士会綱紀委員会に対し事案の調査を請求した(第2懲戒事件。甲2の1)。被告は原告に対して,第2懲戒事件における被告の代理を委任した。原告は,同年4月7日,被告の代理人として第一東京弁護士会綱紀委員会に対して答弁書を提出した。被告は,同月8日,原告に対し書類作成代として20万円を支払った。
  (6) 別件民事事件の第1審裁判所は,平成20年8月26日,被告の請求を棄却する旨の判決を言い渡し,その理由中において,本件各懲戒事件の対象とされた被告の行動に特段問題とすべき点がないとの判断を示した(甲4の2)。同判決に対し,原告は被告訴訟代理人として控訴を提起し,別件民事事件は,東京高等裁判所に係属した。
  (7) 原告は,平成20年5月1日,b法律事務所を開設し,同事務所で弁護士業務を開始した。原告は,以後,a法律事務所には出勤しなくなり,被告の受任事件についての復代理業務も行わなくなった。
  (8) 被告は,平成20年4月頃から体調を崩し,同年6月頃虎ノ門病 院に緊急入院し,検査入院を繰り返し,同年9月からの入院手術を経て同年11月15日に退院した。被告は退院後,a法律事務所の事務所職員から原告がa法律事務所に出勤しておらず,復代理業務をしていないことを聞いて知り,原告に対する不信感を抱き,同年12月から原告に対する月額45万円の送金を打ち切った。(乙11。)
  (9) 原告は,平成21年1月10日頃,被告の事務職員を通じ被告に対して,月50万円の送金の継続やホームページの作成費等の金員を要求した(乙11,甲15)。被告は,同年1月14日,原告に対して,和解案(甲7)を提示した。和解案の内容は,ア 平成21年1月以降の業務協力について,(ア)本件各懲戒事件の議決まで月額18万円(源泉税2万円控除),(イ)本件各懲戒事件並びに別件民事事件控訴審の報酬は議決及び判決内容によって,被告が原告に対し支払う,イ 清算金として,(ア)平成20年12月の協力金18万円(源泉税2万円控除),(イ)日当5万円,(ウ)インターネット立替金12万5475円を被告が原告に対して支払う,というものであった。
  (10) これに対し,原告は,平成21年1月16日,被告に対し,要旨,以下の内容のFAXを送付した(甲9)。
   ア 本件各懲戒事件は,弁護士会の会規・会則違反の事件であり,代理人にとってもリスクの高い事件であるため,裏取引における解決金の相場は1億円といわれている。被告の事案は特に実際に(弁護士会の会規・会則に違反する行為を)やっている事案だけに非常にリスクが高い。
   イ 弁護士会から業務停止処分を受けた場合には,被告の事務所が享受してきた膨大な利益が失われる。原告が,平成19年9月以来1年4か月間にわたり,懲戒手続をストップさせ,被告を上記のような不利益から防護してきたことを考えれば,原告の主張する金額など,スズメの涙にもならない。
  (11) 被告は,原告の上記提案を見て,原告は被告に対し報酬として1億円を要求しているものと考え,原告の報酬請求が理不尽であると感じた。
 被告は,平成21年1月29日,原告に対し,本件各委任契約を解除する旨の内容証明郵便を送付し,同月30日,原告はこれを受領した(本件解任)。同解任通知には,解任の理由として,①本件各懲戒事件に係る東京第一弁護士会綱紀委員会の手続は,別件民事事件の判決が確定するまで停止しているにすぎず,原告の貢献が大きいとはいえないこと,②被告は本件各委任契約に係る一連の事件において弁護士会の会規・会則違反に当たる行為をしていないと主張しているのに対し,原告は被告が実際には弁護士会の会規・会則違反の行為をしていたことを前提にしており,双方の認識にずれがあること,③被告は上記(10)のFAXに示された原告の考え方が理解できないことが挙げられている。(甲8)
  (12) 別件民事事件の控訴審裁判所は,平成21年1月29日,控訴を棄却する旨の判決を言い渡し,原審裁判所の上記判決理由中の判断を維持した(甲6)。
  (13) 第一東京弁護士会綱紀委員会は,平成21年5月1 5日,第1懲戒事件について,懲戒委員会に事案の審査を求めないことを相当とする旨議決した(乙2)。同綱紀委員会は,平成24年12月14日,第2懲戒事件について,懲戒委員会に事案の審査を求めないことを相当とする旨議決した(乙7)。
 2 争点1(本件解任は故意に条件の成就を妨げたものか)について
  (1) 原告は,被告による本件解任は原告に対する成功報酬の支払を免れるためにしたもので,民法130条の「故意にその条件の成就を妨げた」に当たると主張する。
  (2) そこで検討するに,本件各委任契約は,被告が自らの事件を原告に委任したものであるから,業務委託基本契約とは関わりなしに締結されたものであると認められる。また,本件各委任契約には報酬についての具体的な定めがないことからみて,同契約の目的を達成して成功した時に報酬金を支払う旨の合意があったものと認められる。この報酬合意は,同契約の目的が達成されて成功することを停止条件とする報酬の合意であるとみることができる。
 しかし,その後,①原告が被告との間で平成18年5月に業務委託基本契約を締結したのに,平成20年5月以降,自己の事務所を開設し,被告の受任した事件の復代理業務を行っていなかったところ,同年11月になって被告がこれを知るに至り,原告に対する不信感が生じて同年12月に原告への送金を打ち切ったこと,原告は平成21年1月に本件各委任契約に基づき報酬の請求をしたが,報酬として1億円を示唆するものであったことから,被告は余りにも高額で理不尽であると受け止めたこと,③被告が一貫して弁護士会の会規・会則違反の行為をしていないと主張していたにもかかわらず,原告は被告が弁護士会の会規・会則違反の行為をしたものと考えていたことが分かり,依頼事件に対する認識に根本的な違いがあることが明らかになったこと,④被告は,平成20年12月以降,原告とやりとりを重ねる中で原告の考え方が理解できないと思うに至ったことは前記1認定のとおりである。これらの事実を総合すると,被告が本件解任をしたのは,受任弁護士である原告に対する信頼をなくしたことによるものであることが認められる。
 弁護士報酬の額について依頼者との間に別段の定めがなかった場合には,事件の難易,訴額及び労力の程度ばかりでなく ,依頼者との平生からの関係,その他諸般の事情を審査し,当事者の意思を推定し,もって相当報酬額を算定すべきものである(最高裁昭和37年2月1日第一小法廷判決・民集16巻2号157頁参照)。しかるところ,原告が弁護士報酬として示唆した1億円は,別件民事事件及び本件懲戒事件の事件の難易,訴額及び労力の程度,その他諸般の事情に照らしても,高額に過ぎ,このような高額な弁護士報酬の請求は被告との信頼関係を破壊するものといえ,被告が原告に対する信頼をなくして本件解任をするのはやむを得ない。したがって,本件解任には原告に帰責事由があり,本件各委任契約は本件解任によって終了したというべきである。
  (3) 以上のとおり,被告のした本件解任は,原告から余りに も高額な弁護士報酬を請求するなどされて原告への信頼を失ったためであり,原告に対する本件各委任契約の報酬の支払を免れるために故意に条件成就を妨害したものとはいえない。したがって,本件各委任契約について民法130条の適用の余地はない。
 3 争点2(本件各委任契約の相当報酬額)について
 以上のとおり本件各委任契約には民法130条の適用の余地はないから,原告の民法130条に基づく6000万円の報酬請求は理由がない。
 また,被告のした本件解任は,原告が被告に対し余りにも高額な報酬請求をするなどの行為によって,被告が原告に対する信頼をなくしたことによるものであり,民法648条3項の「受任者の責めに帰することができない事由」によるものでないことは前示のとおりである。そうすると,原告に民法648条3項による既履行の割合に応じた報酬請求権があるともいえない。
 4 争点3(短期消滅時効の成否等)について
 原告は6000万円の報酬請求をすると主張するのみで,その内訳について具体的な主張をしていないけれども,原告が本件解任までの間に本件各委任契約の委任事務処理を遂行したことによって,何らかの費用償還請求権が発生している可能性がある。そこで,以下においては,仮に,原告に費用償還請求権が発生していたとしても(更には,原告に本件解任時までの報酬請求権も発生し得るとする立場についても,念のため検討する。),民法172条1項の短期消滅時効により消滅していることを論じておく。
  (1) 原告 の費用償還請求権,報酬請求権は,原告が弁護士として受任した本件各委任契約上の委任事務処理に関するものであるから,民法172条1項にいう弁護士の職務に関する債権に当たる。
 同項にいう「その原因となった事件が終了した時」とは,弁護士は,依頼者と弁護士との間の委任契約が終了すれば,通常は,直ちに当該委任契約に基づく債権を行使することができることからみて,依頼者と弁護士との間の委任契約が終了した時を含むと解される。しかるところ,本件各委任契約は本件解任により終了したから,本件各委任契約が終了した平成21年1月30日が「その原因となった事件が終了した時」である。その日から起算して平成23年1月30日の経過により2年が経過している。
 被告が本 件口頭弁論期日において上記短期消滅時効の援用の意思表示をしたことは当裁判所に顕著な事実である。
 したがって,仮に原告に費用償還請求権,報酬請求権が発生したとしても,民法172条1項の短期消滅時効により消滅している。
  (2) 原告は,短期消滅時効に関して種々の主張をするので,検討する。
   ア 原告は,本件訴訟の中で,第一東京弁護士会の懲戒不相当の決定がされたことを知るまでは,同弁護士会の懲戒不相当の決定の情報を取得できなかったから,原告が報酬請求権を行使するについて法的にも事実的にも障害があり,短期消滅時効は進行しないと主張する。しかし,本件各委任契約は本件解任により終了したから,この時から民法172条1項の短期消滅時効が進行を開始することは前示のとおりであり,消滅時効の開始は,被告につき同弁護士会の懲戒不相当の決定がされたことを原告がいつ知ったかとは関わりがない。
   イ 原告は,民法130条のみなし請求権は形成権であり,消滅時効期間は10年であるなどと主張する。しかし,本件各委任契約には民法130条の適用の余地がなく,原告に同条に基づく報酬請求が認められないことは前示のとおりである。
   ウ 原告は,本件各委任契約の事件につき懲戒不相当の決定が出た場合には,被告は信義則上これを原告に通知する義務を負うのに,故意にこれを怠り,原告の権利行使を不可能にして時効を完成させたとして,被告の消滅時効の援用は信義則に反し,権利濫用に当たると主張する。しかし,被告は本件各委任契約を本件解任により終了させたのであるから,以後原告に対し本件各委任契約の事件の顛末を報告する義務はなく,その後に懲戒不相当の決定が出たことを原告に通知する義務を負うこともない。したがって,被告がこれを通知しなかったからといって,消滅時効の援用が信義則に反するとか権利の濫用に当たるはいえない。
   エ 以上のとおり,原告の上記主張はいずれも採用することができない。
 5 結論
 以上によれば,原告の請求は理由がないから,棄却することとし,主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 畠山稔 裁判官 杉山順一 裁判官 中川真梨子)