【弁護士自治を考える会】
弁護士による横領被害者に給付金(見舞金)出すという日弁連の案に反対を唱えている自由法曹団の弁護士たち、弁護士が非行増えたがのは弁護士人口が増大したことが原因であると主張しているが、それでは自由法曹団は過去どのような意見を述べてきたのか検証をしてみる。
弁護士横領被害に弁護士会費は使うなという弁護士たちが全国の弁護士に送ったビラ

あなた達は今まで何を言ってきたのか


第4 司法基盤の整備 
1 法曹人口について

(1) 法曹人口増加についての自由法曹団の基本的態度
 法曹人口増加の必要性
 最終意見は、法曹人口の増加について、「現行司法試験合格者数の増加に直ちに着手し、平成16(2004)年には合格者数1500人達成を目指すべきである」「法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、平成22(2010)年ころには新司法試験の合格者数の年間3000人達成を目指すべきである」「おおむね平成30(2018)年ころまでには実働法曹人口は5万人規模に達する」との結論を出し、しかも「新司法試験の合格者数を年間3000人とすることは、上限を意味するものではない」と述べています。 私たち自由法曹団は、1998年10月に発表した「21世紀の司法の民主化のための提言案」において、法曹三者のどれを見ても、現状では法曹人口の不足は歴然としているとして、裁判官、検察官の増員とともに弁護士人口の大幅な増大が必要であると提言しました。 従って私たちは、基本的人権が正しく守られるために必要な数の弁護士を増やすことは賛成です。
② 最終意見の結論とその持つ問題点
しかし、必要な法曹人口はそれぞれの国の法律関連職種のあり方やその数にも影響されるはずですし、また、それぞれの国の司法制度がどれだけ国民の権利と要求の実現に応えたものになっているかでそれに従事するのに必要な法曹の人数も左右されるはずです。例えば日本の場合法律事務を取り扱う資格としては、弁護士以外にも司法書士(約1万7000人)、税理士(約6万3000人)、弁理士(約4000人)、行政書士(約3万5000人)、社会保険労務士(約2万5000人)、公認会計士(約1万2000人)が存在し、その総数は15万6000人にも上ります。そして日本と諸外国とでは弁護士と隣接法律関連職種との職務区分が異なっており、単純に弁護士の人数だけを国際比較することは誤りです。 ところが最終意見は「今後、国民生活の様々な場面における法曹需要は、量的に増大するとともに、質的にますます多様化、高度化することが予想される。その要因としては、経済・金融の国際化の進展や人権、環境問題等の地球的課題や国際犯罪等への対処、知的財産権、医療過誤、労働関係等の専門的知見を要する法的紛争の増加、「法の支配」を全国あまねく実現する前提となる弁護士人口の地域的偏在の是正(いわゆる「ゼロ・ワン地域」の解消)の必要性、社会経済や国民意識の変化を背景とする「国民の社会生活上の医師」としての法曹の役割の増大など、枚挙に暇がない。」と増員の必要性を述べていますが、以上の点について、十分比較検討した形跡は認められませんし、指摘された点の具体的内容も明らかではありません。したがって、審議会が国民の権利と要求の実現を図るための法曹の質と量について十分検討したとは思われませんし、新規法曹年間3000人という数値目標が法曹人口全体にどのような影響を与えるかについても十分な検討をしたとは思われません。しかも年間3000人というのは上限を意味しないとしていますから、こうした際限なき増員論に立った結果どのような影響を及ぼすのかについての検討は不可欠です。 昨年11月1日の朝日新聞の試算によると、2003年ロースクール開校(最終意見ではロースクール開校は2004年としているので1年ずつずれる)、2006年最初の卒業生、2007年第1期生誕生と仮定すると、法曹人口は、2014年に4万5000人、2037年には10万人突破、2046年以降は12万人で横ばいになると報道されています。 この試算が概ね正確であれば、審議会が当面の目標と考えたフランス並みの5万~6万人は早晩達成し、その後はそれを大幅に越えることが確実です。審議会は、年間3000人の新規法曹を誕生させた場合法曹人口がその後どうなるかについてこのような検討を行ったのでしょうか。それだけの法曹人口に見合う要求が果たして国民の中に存在するのでしょうか。また、これから法曹人口の増加に伴って国民が裁判に救済を求めることも増大するのでしょうか。年間3000人の新規法曹を誕生させるには、これと併行してこの点についての検討と対策が必須となってきます。



日弁連臨時総会に向けて

愛知支部  尾 関 闘 士 雄
1 議案に賛成すべきである。

司法制度改革審議会では、三〇〇〇名で合意がなされている。同審議会は、国会において、全会派賛成にて、設置されたものであり、いわば国民の声である。
 弁護士制度、法律事務の独占、弁護士自治などは、すべて国民のためのものであり、弁護士のためでも、利益のものではないこと明白である。
 従って、我々弁護士は、国民の声に反対してはならない。

自民党の報告書(確かな一歩)では、フランス並みの法曹人口を明記しており、民主党の司法政策では、先ず早急に年間三〇〇〇人を実現し、さらに、段階的にこれを拡大すると述べられている。
フランス並みとは、ほぼ国民一九〇〇人に弁護士一人の割合であり、日本の人口に割り直すと六〇〇〇〇人余である。フランス並が審議会でも国民の間でも、ほぼ合意されると、予測すべきである。
 日本でも、東京では国民一四七七人につき、弁護士一人であり、既にフランスを超えている、大阪では、国民三六二六人につき弁護士一人である。フランス並みは驚くべき数字ではない。 いま、弁護士は、社会生活上の医師である、という表現が盛んである、これは分かりやすい表現である、医師では、最先端の医学水準で高度の医療を行う大病院から、下町の町医者まで存在し、医師はそれぞれ治療活動をしている。
 弁護士も医師と同じように、経済社会の最先端で活動するもの、下町で庶民を相手に町弁で活動するものがあって当然である。
 最近、審議会では、弁護士は経済活動におけるパトナーという言葉を使用している。この表現も、意味が深い。
 経済活動におけるパトナーとは何か。弁護士は十分役割をはたしているか。たとえば現在不動産の証券化が叫ばれSPC法人法、特定不動産共同事業法が制定され、また企業の金融において銀行の貸し渋りの中で間接金融から直接金融への転換が模索され、昨今の商法、証券取引法の改正による社債発行の規制緩和で、中小企業での社債発行が頻繁になろうとしている。また非公開会社の整備の法改正が検討されようとしている。株式会社が公開と非公開に区分され、非公開会社の運営が法に従って行われなれば弁護士の活動が大きく期待される余地は大きいと思う。会社設立、増資についても同じである。経済活動での弁護士の役割は大きいと思える。(中略)

 弁護士の活動分野は沢山あり、弁護士の将来は明るい。
 フランスなみ弁護士数におじける(まま)のは誤りである。もっと積極的に発展的に将来を展望すべきである。そして資格さえとれば以後は安楽で豊な生活が保証される考えは捨てるべきである。
 以前には現役で司法試験の(まま)合格しても、経済的な理由で民間会社に就職した例もあった。すべての時代に弁護士が豊であったものではない。

我々は、一〇〇万人署名を国民に訴え多くの賛同を得、署名を頂いた。一〇〇万人署名の内容はすべて弁護士の大幅の増員無くしては、実現できないものである。 ここで、日弁連執行部の提案に反対することは、署名をくれた多くの人々を裏切るものである。


元 日弁連元副会長(平成14年)元京都弁護士会長・自由法曹団員
  川中宏弁護士(元京都第一法律)のブログから抜粋

司法改革の猛烈な嵐

 何がそんなに忙しかったのかという疑問を持たれるかと思いますが、一言で言えば、司法改革の猛烈な嵐に日弁連も私たち役員ももろに巻き込まれたということです。今、内閣に司法制度改革推進本部(本部長は小泉純一郎首相)が設けられて司法改革が進められていますが、50年ないし100年に一度という大司法改革が、猛烈なスピードで進行しており、法曹三者の一翼を担う弁護士会としてはこれに積極的な対応をしていくことが求められているわけです。
 
どんな司法改革が進行しているのかを思いつくままに挙げて見ます。

(1)法曹養成の改革として、全国各地に法科大学院(ロースクール)を設置して教育し、司法試験の受験は原則として法科大学院を卒業した者にしか認めないこととする。

(2)法曹人口を毎年3,000人程度増員していく
(数年前までは約 500 人で、今は1,200人) 

(3)弁護士に対する懲戒制度の中に、11人の市民だけからなる綱紀審査会を設けて、綱紀懲戒手続きの透明化・客観化をはかる
(4)裁判官の任命過程に国民の意思を反映させるため、市民代表も入った裁判官指名諮問委員会(委員11名)を設置し、ここですべての裁判官につき裁判官の適格性を実質審査させる。
(5)選挙人名簿から無作為抽出で選ばれた市民が裁判員として、プロの裁判官と一緒に協働しながら重大刑事事件を裁く裁判員制度を導入する。 

日弁連はなぜ負けたのか、ある弁護士の法曹人口問題のレポート

2006年臨時総会

2007年から主張に変化が現れます

団総会に参加して

北海道支部 中 島  哲
 二〇〇七年一〇月二〇日~二二日にかけて山口県湯田温泉において開催された自由法曹団総会に参加してきました。(中略)
 初日はプレ企画、修習生時代から関心を寄せていた労働分野について、ワーキングプア・労働の貧困の現状に触れ、改めて何とかせねば!という義憤に駆られる。夜は宴会で新入団員の自己紹介。
 二日目は総会初日。様々な提案、報告、討議がなされる。なぜか、「たたかい」という単語が非常に多く飛び交う。「たたかい」「戦い」「闘い」「斗い」、古参の団員はどの字を当てるかにもこだわりがあるらしい。
 夜はやはり宴会。初日の宴会よりもさらに大人数が集まり、その規模の大きさにビックリする。こんな人数の弁護士が一堂に会しているのか!しかもそうそうたる顔ぶれ。団の凄さを思い知る。
 そして今日も自己紹介。昨日に続き二度目の自己紹介でネタがない、しかも昨日より新入団員の数が多い。数十人もの自己紹介、誰も聞いていないんじゃないか?という疑念を抱いていると、たまに自己紹介中の団員の地元の先生方が拍手を送ってくれるのが嬉しい。
最終日は総会二日目、午前九時スタートだが、明らかに皆前夜の影響で眠そうである。 最後に、真面目な話を一つくらいしておきたいと思います。総会で将来問題の話が出ましたが、どうも話がかみ合っていない部分もあったかと思います。「将来的な法曹人口増員にどう対応するか。」という問題と「実際に増えてしまった新人をどうするか。」という問題はレベルが違う話なので、分けて考えた方が良いかと思います。
 自分たちは法曹人口増員に反対だから、新人採用にも消極的、というのでは、団の勢力衰退につながりかねません。たとえ法曹人口増員に反対の立場であっても、やる気ある新人は懐深く迎え入れるという姿勢が、団の勢力増加にもつながるのではないか、そう思われてなりません。
通信1345


司法制度改革はせめぎあい

福岡支部  永 尾 廣 久
 「こんな日弁連に誰がした?」というのは、たいへん刺激的なタイトルです。海川道郎団員の呼びかけにこたえて、私が福岡県弁護士会のホームページに連載している書評に載せたものを一部手直しして投稿します。
(中略) 司法改革について、ひとつの参考文献になる本であることは私も認めますが、後付けだけではよく分からないものです。この本にも紹介されている大川真郎弁護士の書いた『司法改革』(朝日新聞社)、私が日弁連の理事そして副会長の体験にもとづいて書いた『がんばれ弁護士会』『モノカキ日弁連副会長の日刊メルマガ』(いずれも花伝社)も、ぜひ読んでみてほしいと思います。
 「弁護士人口増員に必死で抵抗する日弁連の態度は、『既得権擁護』『思い上がり』という世論の集中砲火にさらされていた」
 これは、まったくそのとおりです。決して財界だけが非難、攻撃していたのではなく、ほとんど全部のマスコミ、そして消費者団体も弁護士人口増員に賛成でした。このことから来る重圧はかなりのものがあります。日弁連執行部は、マスコミの論説委員や司法記者と緊密に懇談の場を持って、日弁連の主張を理解してもらうよう努力したのですが、あまりに溝は深く、容易に克服できるようなものではありませんでした。増員反対論者は、実情をよく話せば国民はきっと弁護士人口増員に反対する理由を理解してくれるとよく言いますが、私の実感では、それほど容易なものとは思えません。
 「老いてますます盛んな団塊世代の弁護士が会務を牛耳っている」
この点はかなりあたっていると団塊世代である私も認めます。しかし、実際には、司法改革をリードしてきたのは、団塊世代より一世代上の世代なのです。それは中坊公平元会長をはじめとして、法曹三者をふくめた各界の指導者は残念ながら、みな団塊世代といったら失礼にあたる年長者の方々です。一九六二年生まれの著者からすると、団塊世代もその上の世代も同じように見えるのかなあと思ったことでした。 そして、「このままでは戦争になる、日本は再びアジアを侵略すると言う黴臭い議論」を唱えている弁護士のなかに、団塊世代もいることは事実ですが、日弁連総会で前面に立ってアジる弁護士の多くは、団塊世代というよりさらにその上の世代です。そして、これは「族」支配の構造とは無縁ではありませんが、直結しているわけでもありません。(中略)
 「人権派弁護士は、弁護士人口を少数のまま抑え、経済的な余裕を確保することを人権活動の基盤と認識していた。これを弁護士の『経済的自立論』という。しかし、この理屈は根本的な弱点をかかえていた。日本では、弁護士が少ないために人権救済がいきわたっていない、という批判に耐えられないのだ。日弁連主流派は、経済的自立論を一九九四年頃までは主張するが、世論の支持をまったく受けられなかったため、以後、この理屈を封印する」
 私も「経済自立論」には与しません。しかし、この考えには、今でも人権派弁護士かどうかを問わず、弁護士界の内部に根強い支持があることは間違いありません。
 司法試験に合格するまでは合格者を増やせと声高に主張していたのに、合格したとたん、食えなくなるから増員には反対するという者が増える。これはいかがなものかという批判がかねてよりありました。

法曹人口問題に関する意見書

2009(平成21)年113

本会は、法曹人口問題についての意見書をとりまとめました。
意見書全文は、PDFファイルをご覧ください。


【意見書の趣旨】
1. 日本弁護士連合会(以下「日弁連」という)は、法曹人口について、2000年11月1日の臨時総会で決議された「法曹一元制の実現を期して、憲法と世界人権宣言の基本理念による『法の支配』を社会の隅々にまでゆきわたらせ、社会のさまざまな分野・地域における法的需要を満たすために、国民が必要とする数を、質を維持しながら確保するよう努める」との基本方針を今後も堅持し、上記総会決議の中で「国民が必要とする適正な法曹人口」の将来予測として試算した「概ね5万人程度」の法曹人口に見合う司法基盤の整備と弁護士業務基盤の確立そして、「法の支配」の実現に向けて全力を
尽くすべきである。2. 司法制度改革審議会意見書及び2002年閣議決定の増員ペース(「2010年頃に新司法試験の合格者数を年間3000人まで増加させ、その後も同程度以上の合格者を輩出して、2018年頃に実働法曹人口5万人に至る」)は、結果として急激に過ぎ、年間合格者が2000人を超えた現時点において生じている、「法曹の質の低下の懸念」や「法曹人口増員に対応するための司法基盤整備の不十分」等の様々な問題や懸念を徐々に解消すべく、調和のとれた法曹人口の増員ペースに見直されるべきである。すなわち当会は、将来の法曹人口として「概ね5万人程度」に至る過程において、新司法試験の年間合格者数を、2100人~2500人の範囲内で、その年度ごとの受験生の成績や質に応じて判断されることが妥当であると考える。よって、日弁連は、2002年閣議決定の見直し及び新司法試験の年間合格者数が上記の範囲内で収まることを求め、政府及び関係諸機関に対して強く働きかけるとともに国民の理解が得られるよう、政策実現の具体的道程を示しながら積極的な広報活動をすべきである
 

国民が求める法曹の養成を
―法曹人口増員、国営統一修習廃止

自由法曹団 東京支部  後 藤 富 士 子

一 日弁連臨時総会招集請求者の提案
 三月一一日に開催される日弁連臨時総会の第二号議案は、臨時総会招集請求者の提案に係る議案である。「法曹人口と法曹養成に関する決議(案)」として、司法試験合格者数、予備試験、給費制に関する日弁連の基本方針を次のとおり決議することを提案する。
(1)
司法試験の年間合格者数を直ちに一五〇〇人、可及的速やかに一〇〇〇人以下にすることを求める。
(2)
予備試験について、受験制限や合格者数制限など一切の制限をしないように求める。
(3)
司法修習生に対する給費制を復活させるよう求める。
 この提案の基本にあるのは、「弁護士の窮乏化」という現象の原因を、「弁護士過剰」という現状認識に求めているように思われる。また、現在の法科大学院制度で費用がかかること、さらに司法修習の給費制が廃止されたことで、法曹資格を取得するまでに莫大な借金を背負うことになる現実も問題とされている。

二 弁護士は過剰か?

 まず、私の認識からすると、弁護士が過剰ということは全くない。「役に立たない弁護士」は過剰かもしれないが、紛争当事者が必要とする弁護士は、本当に希少種といっても過言ではない。
 私は、この一〇年位、「離婚と子ども」をめぐる紛争に埋没しているが、全国から事件が持ち込まれ、受任できずに断ることも多い。また、受任事件でも、同じ当事者間で多数の法的手続がとられ、タイムチャージにすると「一〇〇円ショップ」並みになる。でも、弁護士としては「何とかしなければならない」のである。
 家事事件は、紛争当事者双方がそれなりに納得できる解決を目指すことが、社会政策的に上策である。「調停前置主義」の意義も、そこにある。離婚や監護権の問題は、あくまで当事者が決めるべき問題であるから、「自分の人生は自分が支配する」という自覚をもち、相手方と折り合っていくコミュニケーション・スキルを学ぶという経過をたどらなければ、解決に至らない。弁護士は、その「同伴者」「援助者」である。しかるに、調停で解決していくことに寄り添う弁護士は少ない。
 そして、審判や判決となると、法的手続は終わるが、紛争自体の解決にはならず、たとえば監護権紛争で負けた当事者は絶望的に不幸になる。他方で、「親権」「監護権」が「戦利品」のようになって、弁護士の報酬につながる。他人の不幸の上に経済的利得をするのは、プロフェッションではないのではないか?
 ところで、合格者数の大幅減員を決議した二一単位会(総会議案書二五頁)のうち、埼玉、栃木、兵庫、千葉、札幌、山口、山形、山梨、三重の「離婚と子ども」をめぐる事件を私は受任してきた。私が被告代理人になっている山形家裁の離婚事件は、原告代理人も仙台の弁護士である。二一単位会以外でも、釧路家裁の支部に係属する調停を受任している。紛争当事者が苦難に喘いでいるのに、それを放置して「弁護士過剰」もないものだ。
三 「弁護士の窮乏化」は「中流の消滅」の反映
 藤田孝典『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)を読むと、招集請求者が「弊害」として問題にする「弁護士の窮乏化」は、「格差社会」「中流の消滅」の反映であることが理解できる。ちなみに、「下流老人」とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」のことである。
 弁護士業界をみれば、企業を依頼者にしている法律事務所は、需要に応えるべく規模も大きくなっているし、収入が激減するなどということもない。エリート弁護士が集められている。
 これに対し、一般市民事件が収入源の大部分を占める弁護士は、依頼者層が貧困化すれば、収入が減るのは当然である。つまり、弁護士に費用を払って法的手続で解決できるような「事件」が少なくなる。離婚が、男女ともに「下流老人への入口」という指摘も、私には実感できる。
 翻って、そもそも弁護士自身が「中流」ではないのか? 年金は国民年金で、とても生活できない金額である。「下流老人」の問題の深刻さは、普通の人があっという間に下流化すること、しかもそれが増え続けていることである。「高齢期」の長期化、子どもがワーキングプアなどで老親に寄りかかる、若者世代の貧困化が下流老人に直結する・・・等々、身につまされる。
 こうした日本社会の動向に照らせば、まず、法曹界に有為な人材を呼び込むためには、法科大学院の教育を充実させ、院生に給費型奨学金を用意すべきである。そして、法科大学院終了を司法試験として国家資格を付与すれば足りる。現在の司法試験は、司法研修所に入所する資格の選抜試験であり、屋上屋を重ねる無駄は止めるべきである。すなわち、統一修習の廃止である。そうすれば、「貸与制」「給費制」の問題も解消する。
四 「専門分化」には十分な数が必要
 私が「何とかしなければならない」と奮闘している一方で、「仕事がない」弁護士が増えている。「どうしてそうなるのか」を考えると、日本の法曹は「専門性」が欠如しているからではないか。現在の統一試験・統一修習制度の下では、本当の「専門家」は育たないと思われる。
 紛争を解決するために、どの条文を適用すればいいのか、を考えるのが「弁護士の仕事」である。そして、法律は、「要件」と「効果」でできているのだから、弁護士は、それを理解できれば足りるのではないか。そういう技能を習得させるには、法科大学院が合理的である。また、「法解釈の方法」という基本を習得したあとは、「広く、浅く」ではなく、多岐多様にわたる実定法の中から各自が専門分野を選択して深める(極めるまでは無理でも)ことが大切であろう。そのように特定の専門分野で優れた技能をもたない弁護士は、「役に立たない」から、需要がなくなる。数を減らしたからといって、「役に立たない」弁護士に依頼する人はいない。
 弁護士が、紛争当事者から頼りにされる「専門家」であり得るには、多岐多様にわたる法分野の中から特定の分野を自らの「専門」として技能・経験を蓄積していくほかにない。そのためには、合格者を増やさなければ、弁護士業界全体が絶滅していくのではなかろうか? そして、そのスピードは、案外速いことを知るべきである。


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