日弁連等の死刑廃止関係決議無効確認等請求訴訟について

死刑廃止決議無効確認等請求訴訟の提訴について(令和2年11月16日分)

訴状(令和2年11月16日分)

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令和 2 年 11 月 16 日 死刑廃止決議無効確認等請求訴訟の提訴について

弁護士 南 出 喜 久 治

 本日、京都地方裁判所に、日弁連と京都弁護士会を被告として、死刑廃止決議無効確認 等請求訴訟を提起しましたので、その訴状を資料として提供します。 死刑制度の存続を求める世論が圧倒的な中で、本件訴訟は、死刑廃止を肯定する決議だ けでなく、それを否定する決議についても非とする訴訟ですので、これを理解してもらふ ための説明が必要になると思つてゐます。 この訴状の起案中であつた 11 月 3 日に、アメリカ大統領選挙があり、翌 4 日に、トラン プ大統領がホワイトハウスで演説した内容の中で、極めて印象的な言葉がありました。 それは、「私たちは、少数意見を認めることは決してしません。」といふ言葉です。 これは、民主主義が素晴らしいと絶賛して美辞麗句を並べ立てたとしても、結果は、多 数者によつて少数者を否定することが民主主義の本質であることを見抜いてゐるからです。 しかし、物事には、多数決では決められない事柄が多くあります。少数者の自由を否定 する多数者の横暴は許されないのです。民主主義とは、多数者によつて少数者の意見等を 否定する制度であり、できる限り、多数決によつて決められる事項を拡大しようとして、 民主主義の領域で多くのことを決しようとするのが民主主義の思想です。 これに対し、多数決で決められない事項の領域を拡大し、民主主義が通用する領域を限 定して、少数者の自由を守らうとするのが自由主義の思想です。 そのために、民主主義と自由主義とは、現実には厳しい相克状態にあり、常に鬩ぎ合ひ になつてゐます。このことをまづ理解してもらふ必要があります。 日弁連の死刑廃止論は、そもそも非科学的であり、死刑廃止による犯罪抑止力への影響 についての科学的根拠を示すことができません。これは、初めに結論ありきの宗教思想に 類似した思想です。ですから、この思想による思想決議は、多数決に馴染むものではなく、 自由主義を否定するものです。 現在、審理中の、京アニの事件や座間市の事件などでも、日弁連は、死刑判決を出すな とか、死刑廃止を公然と唱へるのでせうか。 日弁連が福井市で開催された人権擁護大会において、平成 28 年 10 月 7 日に死刑制度の 廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言の決議をしましたが、天台宗尼僧の瀬戸内寂 聴が、「殺したがるバカどもと戦つてください。」といふビデオレターのメッセージを寄 せました。

この発言は、死刑制度が廃止されれば、死刑になる心配は一切なくなるので、思ひ切つ て何人でも、どんな残酷な方法でも人殺しができると考へてゐる「殺したがるバカども」 への熱烈な応援メッセージに他なりません。悍ましい限りです。 また、この死刑廃止議案を否決した京都弁護士会の総会決議についても、これを是とす ることはできません。これは、死刑廃止論といふ特定の思想を否定するといふ思想決議で あり、やはり自由主義を否定するものです。

京都弁護士会の執行部は、死刑廃止決議案が 否決されたために、死刑廃止の方向に向けての死刑執行停止を求めてゐます。 しかし、そもそも、このやうな議案を多数決によつて決議すること自体が、自由主義の 否定となり、日弁連の機関雑誌である『自由と正義』の理念を否定するものです。日弁連 と弁護士会が運営において守るべきは「自由」であり、「民主」ではありません。しかも、 この「自由」をはき違へてゐます。

本来であれば、会員の活動の「自由」とその環境を守 るべきなのに、日弁連や弁護士会の政治活動や思想運動を「自由」に行へると錯覚してゐ るのです。 宮崎県弁護士会、札幌弁護士会、滋賀弁護士会て゛死刑廃止の決議をしたとか、否決し た 弁護士会か゛京都と埼玉であるといふやうなことを論ずること自体が間違つてゐるの です。 何も決議しないといふのが正しい立場なのです。

弁護士は、日弁連と全国の弁護士会に所属しなければ弁護士として活動できません。こ れは強制加入の団体です。そのやうな団体が政治活動や思想活動をすることは目的外行為 であつて違法な行為です。弁護士法は、日弁連と弁護士会の目的を「弁護士及び弁護士法 人の使命及び職務にかんがみ、その品位を保持し、弁護士及び弁護士法人の事務の改善進 歩を図るため、弁護士、弁護士法人及び弁護士会の指導、連絡及び監督に関する事務を行 うことを目的とする。」としてゐますので、政治活動や思想運動は目的外行為であり違法 です。 弁護士法は、その立法趣旨からして、弁護士に対する懲戒権を国家に行使させずに日弁 連及び弁護士会が独自にこれを行ふといふ弁護士自治の範囲内で目的が定められてゐるこ とからして、日弁連及び弁護士会に、政治的、法律的その他一切の学理的な特定の見解や 意見を表明したり、その行動等を行ふことの権限は付与されてゐないのです。 ところが、日弁連と弁護士会は、弁護士法の目的を際限なく拡大解釈して、様々な目的 外行為を行つてきました。

多くの国民は、日弁連と弁護士会を「イデオロギー団体」であると認識してゐますが、 日弁連や弁護士会には、国民から顰蹙を買つてゐるとの自覚がなく、裁判所もまた、その ことを見て見ぬふりをしてゐます。 いまや日弁連は、あたかもヒトラー・ユーゲント法と同じやうに、弁護士法の解釈運用 を独善的に行つて活動し、それを裁判所を含む国家組織がこれを黙認してゐるため、暴走 を止める歯止めが全くなくなつた恐るべき事態です。「ナチ弁連」と改称するか、速やか に解体すべき団体です。 このやうな事態に対して、ほとんどの弁護士は、愚痴を溢すだけで全く行動しません。 この戦ひは、自由主義の戦ひです。多くの賛同する弁護士を集めて、多くの原告団を組 んで訴訟を起こすといふ方法は、この戦ひを民主主義の戦ひであると錯覚してゐることに なります。一人で提起しても、それを裁判所が真摯に判断できるのでなければなりません。 数の戦ひではなく、質の戦ひです。 多くの弁護士がこれと同じ考へであるのであれば、一人一人がそれぞれ訴訟を起こすこ とが必要なのです。これが自由主義の戦ひ方です。